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2019
08/11

町を創って来た父の戦友が亡くなった

昨日の朝刊に父の詩吟の友達の訃報が届いた。94歳で父とは2つ違いながら、気の合う仲間として付き合いがあった。その二男は私の同級生で、クラスメイトであり、ゴルフの仲間だ。
葬儀会館に行くと駆け寄ってきて話をした。「2週間前に父の顔を見に来た」と言う、私は「父の死を察知しての事だね」と会話を交わした。東京に暮らし多忙の中で、故郷の両親を忘れがちになっても無理はない中で、親子の自然の意思疎通がそこにはあった気がする。

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お盆前の連休ながら、我が社は仕事をしている。夕方に少しの買い物で飯野川の「百均ダイソー」に行った。事務の備品と台所の不足品を10点、「1080円」で買った。安い! 私の町にも欲しいが、人口が年々300人前後の減少の町には、出店し経営的には難しいのだろう。2か月前に出店した「ツルハ」も駐車場を見ると、客足が伸びない現実を日々見ている。

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志津川荒島の「楽天パーク」に
3日前に新遊具が天気に祟られた
今日は天気
自転車のメリーゴーランド
昨日はテントで包まれていた

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午後5時のお通夜の帰り、焼香に出席した仲間との「みみふさぎ」と題した飲み会、場所も「イーグルス」と、楽天の試合を応援しながらの、お盆の集まりとなった。仲間の近況の変化など、自分の事として捉え、話に華が咲いた。

昨日は午後に仙台の兄が、台風がお盆に直撃? を懸念し、線香を上げに来た。何も準備していないので、お土産に志津川の冷凍水産品と、孫たちにチョコをお土産に持たせた。あと兄の好きな日本酒。そこでの話に、「志津川の財産はいらないよね」「土地相続に着手に150万円が係る」など、将来についての自分の考えを伝えた。自分たちの命は、何時どうなるか判らないとの思いからの事だった。



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2019
08/10

二人で生きるための生活


昨日は父が11時の病院の予約、私は10時30分の予約だった。父は南三陸病院で私は石巻日赤病院、父を9時間30分前に病院へ送って行き、私はその足で石巻まで高速を飛ばした。
父が診察から薬を貰い帰ったのは午後3時過ぎで、私が石巻から帰ったのは午後1時と、この時間の差に常々疑問を持っていた。改善されない長時間の診療時間は何故なのかと思っている。いつも私の方が病院の一緒の時は早い。

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帰りに「三滝堂道の駅」で買い物をした。夏野菜が山積みになり来場者を迎えていた。今日も駐車場いっぱいに車が止まっていた。昔ながらの「マクワウリ」も売られ、マスクメロンと一緒に並んでいた。私はトウモロコシ・タマネキ・おくらを買った。500円と油代を出しても安く、我が家からは「7分」の距離にある。
昨日のニュースで「あら伊達な道の駅」の年間来場者が360万人で、売り上げは「16億円」だと言う。大崎地区お土産は元より、宮城・仙台のおみぉげも置いてある。野菜コーナーも充実し、出品している農家もその恩恵にあずかり、地区民の来場も多い事が、年間360万人の来場者の数を生んでいる。

石巻日赤へは、胃潰瘍と仙台で診断され、再検査のため日赤で「胃カメラ」の診察からだった。一回目の予定日は風邪を引きキャンセル、2回目は多忙と予定を忘れ行けなかった。3回目はさすがに担当の先生には迷惑を掛けられず、体調と多忙を調整しての診察だった。受付から30分で検査は終わった。予約とはいえ早い。
我が家は車無くして生活は成り立たない。あと何年こんな生活ができるだろうか。健康だけは維持していかないと、生活自体が成り立たない。


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2019
08/09

志津川字本浜町200-2


南三陸町志津川市街地の10mの嵩上げ地、震災前に我が社の跡地である。換地も終了し「本浜町200-2番地」となった。自分が生まれた場所を残す事が出来たが、この場所は住んではいけないと言う場所である。

今年は「はるかのヒマワリ」や、自分で買い求めた「赤ちゃんひまわり」や、他のヒマワリも一種植え、「千葉印刷ヒマワリ大作戦」と題して、商店街から海水浴場の途中の東側の土地に植えた。
最初に小さな向日葵が咲いて、次の向日葵が今咲こうとしている。

2週間にも及ぶ猛暑が続き、毎日のようにジョウロで水をあげている。

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我が社の大震災慰霊碑には、造花のヒマワリにした。生花は風と天候で1週間ももたない。だから経費の削減で変えた。本当は生花を添えたいが、毎日のように綺麗な花を供えるのは難しい、そんな決断でもある。供え物は海に打ち上げられた、カキ等の海で洗われた貝と、海岸に打ち上げられた石とした。これが私の出来る最大限の死者への畏敬の念である。線香台も設けている。8月の14日は我が家のお墓参りの帰りに寄っている。
慰霊碑の一昨年前の7月11日の開眼式から、今年で3回目のお盆を迎える。震災復興祈念公園の慰霊の丘では、手を合わせるかは思案中である。

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今から11年前の議員選挙に立候補した時の提案が、「町民の集える場所」の設置があった。高台の住宅地には総てに「集会所」が整備された。私の場所は、何でも話せて、笑い・怒る・生活を語り合える場であり、生活弱者への支援の場所を想定している。金持ち達が酒を飲み・今を笑える場所にはしたくない。

自分一人の考えで色んな事をしている。9月決算議会での一般質問は、職員の不祥事と悲しい職員の現実を町長に聴きたい。

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2019
08/08

南三陸町で「花」と「美味しい物」に囲まれて


リビングの観賞用に買った花は、役目を終わるとそのままで外へ、自然の環境に置くと又輝き始める。再度、リビングでの鑑賞用として、部屋を飾っている。
そんな中に「シンビジューム」が二鉢あり、姉に教わった通り、時々水をやっている。3年前と2年前の物だが、3本の内の一本の葉っぱが今も枯れないで残っている。期待はしているが多分無理と諦めぎみだ。

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お得意の魚屋さんのご主人から、「これ食べて!」とすり身と豆腐をサービスに頂いた。忙しくて3日程、冷蔵庫で眠っていた。
知人から聞き初挑戦した、「すり身汁」は大好きな母の一品だった。タナゴ?のすり身、しょうが・味噌・卵・酒・片栗粉を、混ぜすり身とした。水分が多くなった気がするが、醤油だしの中に「すり流した」。豆腐と野菜はネギだけながら、我ながら美味しく出来た。
自分で作った物は何でも美味しい。

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FBの友達が慰霊台に「線香台はないのですか。」と問われたので、翌日に「震災復興課」で聴いてみる。しかし、担当は「管財課」と言われ、今年度移動した課長を知っていたので、色々と聴いてみた。
缶ジュース等の飲み物はカラスがいたずらして慰霊台が汚れる。線香は火災も危惧されるので焼香台は設置しないと言う。
慰霊台も去年の秋ごろに、さんさん商店街の北側駐車場に移転したと言う。「こんな寂しい所へ」と見つけた時に感じた。今後、令和2年の開園があり、「震災復興祈念公園」への、慰霊の場が完成するまで、一時的な場と言う。

遺族が行けるような、行きたくなるような設えはできない物かとも考える。単なる観光の場と感じ見えてしまう。誰の為の祈念公園なのだろうか。



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2019
08/07

私の植物達

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「ビールの友」にと今年植えた枝豆4本、何とか成長し実を付けてくれた。駄目もとで苗を買い植え見事に育ってくれた。
獲れたてはさすがに美味しい。買った物とはまるで違うのは、収穫しその後に早く茹でた事が良かったのだろう。
茶豆は成長が早い事を知り、残っているのは「黒豆」で、葉っぱがたわわに今も成長している。実はまだ薄っぺらで、食べごろまで成長してくれるか心配だ。食べずとも絶対美味い事を確信する。

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各地の大震災の悲劇を忘れないで
その為にも「はるかのヒマワリ」の
神戸の被災した子供の事を忘れないよう
先輩からいただいた種がここまで育った
後もう少し暑さの中で頑張れ

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昨日もお昼のおかずに、「ミニトマトとキャベツの千切りサラダ」を食べた。朝獲れトマトは洗わず半分に切って、キャベツの上に載せ「ごまドレッシング」で、勿論美味しく頂いた。

今日の朝は収穫した小さ目のジャガイモの、昨夜作った「煮っ転がし」を一品に添えたい。

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