FC2ブログ

ENTRY LIST

2020
01/21

令和2年それなりに順調


今年に入り志津川の商店街の閑散期を支援している。平日の夜の来客は「さっぱり」と言う。暖冬とは言え大寒の昨今は冷える南三陸町です。

200119_184749.jpg
日曜の「寒たら復興市」、鱈の一本買が有名で盛り上がっていると言う。「タラ鍋」も振る舞われ、湯気の大鍋が来場者を喜ばせた。イベントの開催の継続は、町が復興した事を皆様に伝えるための手段である。

200120_180802.jpg
昨夜は初めての飲食店は「初鍋」でした。鳥のダシのスープに「鳥つくね」は良い出汁が出て温かかった。毛かに・白身・餅・野菜たっぷりで、大正解の食事会だった・閉めは平うどんで食が進んだ。若い親方が商店街をもり上げていた。時代は若さへと変わって行っている。

CIMG1621.jpg
志津川市街地の我が営業所から、長距離バスの志津川駅が見え、バスに駆け込む乗客の姿があった。来年の秋には「道の駅」が整備され、広い待合室ができる事と思う。隈研吾氏のデザインの商店街から、今度は震災を伝承する場所が隣接される。「大震災の苦難からの復興再建」を伝える場所としたいと言う。

昨日は一人で家の片付けをした。ビールの空き缶が日増しに増えて整理した。大根も日数が経ち、悪くなる前に大根を煮て、その中に「タコの頭」「シュウリ貝」を入れ煮物にした。ブロッコリーも茹で上げ冷蔵庫へ。正月明けに冷蔵庫整理の料理でタッパも増え、自分で食べて整理をしている。食料は最後まで食べるが私の信念としてある。今の生活は何も無駄にはできない。

そんな週初めの一日となった。父への認知の進む対策として、朝に声を掛け「今日は何曜日」と聞く。昨日はまた昔の知人の母が亡くなった事を知る。
今日は歯医者に入歯が出来ているのでお昼に行く。あと大量の配達と、校正もある。従業員が急な所用で今週も「綱渡り」の生活が始まっていた。とにかく一つずつ片付けて行く。


スポンサーサイト



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:06 】

2020
01/20

南三陸町の道の駅構想



南三陸町の道の駅構想の全貌が示された
隈研吾氏の構想図
「かっこいい!」
商店街の整備の姿は物足りない気がしていた
世界的建築家となった隈氏
形は船と言うが私には飛行機
フランスの「コンコルド」に見える

200119_184647.jpg
隈氏の設計概要説明会には、80名の町民が集まり熱心に耳を傾けていた。
商店街と「伝承館」「BRTバス志津川駅」、「震災復興祈念公園」を整備し、観光客の回遊性を固めると言う。
歌津・戸倉・入谷地区の人の流れは、整備後に確保できるかと言うと、整備についての提案が町から出されないままで、賛否は私としては微妙だ。

町は隈氏の知名度と木材を使った施設整備が、町の描く復興と、新たな産業の発展を考えている。住民生活は大きな町の維持管理経費の支出の中で、高齢者の生活環境の低下に繋がらないか心配だ。

南三陸町の住民の8割が、年収0~200万円以下の状況で、町の商店主は努力し復興に寄与しているが、町民生活は益々苦しく大変な状況になる。あと少しで私もその仲間入りです。

もっと生活弱者が住みよい町の創出をお願いしたい。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:06 】

2020
01/19

千葉家の過去と現代


戦争に行った私の伯父
25年後に仕事中に倒れ
脳梗塞で効き手が使えなくなり
左手で絵画の創作に励んだ
そんな叔父は震災の2年目に亡くなった
素晴らしい絵を100点以上も残してくれた
千葉家の財産として

今日は「道の駅」「伝承館」の説明会が、アリーナを会場に隈研吾氏が立つ。どんな計画なのか、町の再建の公平性を是非考えて欲しい。自己の保身、一部の業者利益など、一方でこうした町づくりが進められている。「震災復興」と言えば、何でも思いのままになる甘えの体質と、政府も「被災地の為」と言えば国民の支持が得られるなど、将来の国民の生活を第一に考えるべきと私は思う。

IMG_2758.jpg
震災復興祈念公園の「名簿碑の箱」を慰霊の丘に設置した。18日の河北新報に墓碑銘を触り亡くなった子を忍ぶ母の姿があった。25年も経つ「阪神淡路大震災」は、当時者・県民・国民に忘れられる事の無い慰霊碑を設置し、「緑地公園」に整備した。いつでも公園に行けば亡くなった家族に会えると言う、場所を整備している。
町の慰霊者への慰霊・追悼は、小さい箱の中で家族は震災死した家族を直接手だけでも触れられる環境を造った。議会の決定ながら、町民の代表として、首長の考えに右習いの議会決定に、違和感を私は感じている。

IMG_2755.jpg
石巻の震災の仮設からすべての住民が移ったと言う。移った後の生活はどうだろう。多くの問題を抱え、ローン・家族の病気など、不安を多く抱え、まだまだ行政の支援と見守りが必要だ。震災での家族・住居関係の激変の中で、個人で解決できない問題もある。総てを助ける事が出来ないまでも、住民の生活の確保と、経済産業への町の関わりは、是非公平にして欲しい。




【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:13 】

2020
01/18

ホロワーのパワー

同級生の妹さんが行政書士をしていて、現在多くの問題に耳を傾けている。「母子家庭の配偶者からの養育費」の問題は深刻で、行政や国も新たな支援へと動き始めている事を知った。今回は南三陸町への台湾からの義援金により、支援を知らない人がいるとFBしていた。


台湾赤十字から22億の寄付金により
建設された「南三陸病院」
こないだとなりの災害公営住宅に住んでいる
高齢者の皆さんが周辺のゴミ拾いをしていた
町に病院ができて何かあった時の
安心感が「町の病院」にある

私はツイッターで被災し南三陸病院のとなりにできた、福祉枠の対象者の災害復興住宅の皆さんが、病院周辺の清掃活動を寒い中でしていた。フォロワーが58人と、「いいる」をくれた。現在は「620人」のフォロワーがいて、ツイートすると直ぐに反応がある。その発信の力に、私自身がビックリしている。

200118_064020.jpg

ご結婚おめでとうございます
今朝のNHKのニュースで
震災の時に母のお腹の中にいた彼女
母は震災後に彼女を25歳まで
頑張って育ててきた
そして素晴らしい彼と出会い結婚した
阪神淡路追悼式に初めて参加したと言う
生きて結婚で人生も考え方も変わるんですね

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:38 】

2020
01/17

悲しくもあり 楽しい生きている実感


三陸道から内陸に向かう「北部道路」の橋脚が建設中だった。そのとなりに登米市の葬祭会館があった。

仕事も充実し、私生活も落ち着いている。今日の父は調子が良いようだが、口癖は朝から「疲れる」だ。今日は病院の予約は午前11時、帰りは午後4時過ぎかな?

正午からの登米市の葬儀は、懐かしい従弟たちがいた。30年ぶりだろうか、嫁に行き旦那の両親を送り出し、今は年上の旦那の世話をしていると言う。私より4つ下ながら、苦労が白髪に現れたいていた。苦労を苦労と思わない「笑顔」があった。この日の葬儀の亡くなった叔母の教育の賜物である。
叔母は「家族葬」と孫が言いながら、多くの人達が集まっていた。日本赤十字への支援をしていて、弔辞が日赤として村井知事からもきていた。私の知らない赤十字への支援や、一般席から聞こえてくるのは故人を忍ぶ声ばかりが聞こえてきた。子供や孫たちに厳しい人間としての生き方を教え、祖母を亡くした孫たちは口々に当時の教えを今感じとっていた。優しいばかりが家族の愛ではなく、大人になって人として生きる礼儀を身に付けさせていた。
登米市米谷出身の母の教えに似ていた。厳しさと優しさを使い分けする、子供達への教育がそこにあった。
孫の弔辞に「おじいちゃんの元で静かに安心して見守って下さい。」の言葉に皆が涙していた。祭壇の前での沈黙は、大きな存在に気付き、もっと話がしたかったと言う。私が実践したい「ピンピンころり」を貫いた人生に拍手さえ送りたくなる。ありがとうございました。
震災後に両親の介護のなかで、両親より5歳年下の義理の伯母に出逢えたこと、多くの言葉をいただいた事、導いてくれた伯母に感謝です。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:56 】


TOP