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2020
09/21

コロナ自粛解消?


「あいのや」と言うと外売車で物を届ける
と言うイメージから格安店に変わった
「石巻あいのや」で弁当250円を買い
藁草履のような「チキンフライ」198円
海苔巻・ショウガ・炭酸水・オレンジ
合計1200円はガソリン代が浮いた

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昨日は前志津川町長の阿部公三氏の葬儀に参列した。
子供達は3人居て、私が小学生の時に良く従弟の同級生と、公三さんの家で遊んだ事を思い出す。一郎君・二郎君がいた、まだ幼い子供達と遊んだ。部屋を遊び場としていた。奥様は上品で、公三さんは豪快で笑顔の優しい人だったと記憶する。

昨日は二男の御礼の挨拶に続き、長男が阿部公三さんのルーツを話してくれた。家督として現在は別の性を名乗り、私には「阿部家のルーツ」を知っていてもらいたいとの気持ちと感じ取った。
阿部権次郎氏は公三さんの父で、兄は私の同級生の父、権次郎さんは県会議員をしていた。公三さんは地元へ戻り、父に「これからは鯨だ」と言われ、次に「これからは車社会で油だ」と、最終的には仙台と志津川でガソリンスタンドを経営していた。
権次郎氏の県議の選挙は、二人の息子たちは選挙が嫌で、今度は公三氏の選挙で「地元の人達には迷惑をお掛けした」と葬儀の席で謝罪した。何故なら一郎氏は選挙への協力はできなかった中での、町長への挑戦だったからだ。

大震災ではアリーナで父との再会を果たしたが、息子二人と三人車で話しをすると公三さんは号泣したという。震災の中で気丈にも周囲に気使い、妻は行方不明の中で緊張感が子供達の顔を見てほぐれたのだろう。子供達は父の身体を心配し「東京へ行こう」と話をした。しかし、この町を離れる事はできないと、行く事を拒んだ。結局は体が少し弱い事もあり、薬の事もあり東京でのマンションの一人暮らし始まった。御年は80歳となり、ある日に転んで骨折し、入院・リハビりに頑張ったと言う。最後は施設での誤嚥性肺炎で90歳の天寿を全うしたと言う。

一郎氏の思いは父と共に生きて来た志津川町と、お世話になった皆さんに「阿部家の生きて来た証」を、最後の葬儀の席で感謝と御礼があったのだろう。これで阿部権家の少しはルーツを知った。
優しい子供たちに囲まれ、妻の突然の死を乗り越え、施設への孫の見舞いがあり、素晴らしい生きざまと「家族の愛」の中で、大往生といえるだろう。享年90歳、波乱万丈の人生を称賛したい。気仙沼の小野寺代議士の隣りが奥様の生家だと聴いた。

政治家になる身の上だったのだろう。今でも奥様の顔を覚えています。私が議員初当選で伺った時も「がんばれよ!」と言葉を下さった。




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