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2020
04/26

今はなき姉の為に


女川町の地域のスーパー「おんまえや」さん
姉と両親を亡くした
そして今年3月2日に8mの嵩上げ場所に再建した
NHKのドキュメントの姉の息子と社長の
津波から歩んできた人生の姿に朝から涙した
甥は「兄貴に負けられない」と
自分の道を歩き始めた
社長はオープンの挨拶で皆さんの前で泣いた
震災復興・再建の歩みを思い出したのだろう
今度 女川に行ったら行って見るつもりだ
いま更なる試練の中でも頑張って欲しい

家業継ぐ残った家督の苦悩は当時者でないと解らない。被災した町の復興計画が進まない事には、グループ事業の補助があったとしても、再建の道のりは長かっただろう。
南三陸町に3年目を迎える「ウジエスーパー」も、お得意さんの生活を守ろうと、「バス販売」を震災後から続けた。この事業も利益には繋がらなかっただろう。しかし、被災地の買い物の支援もあるが、将来へのお得意さんの確保も、この活動の中には含まれる。震災前の従業員も解雇しないままで、近隣の他の店舗での仕事を続けてもらった。
「おんまえや」は女川町の店舗で、同様の「バス販売」は赤字続きながら、ウジエと同様に地元のお得意さんの生活を守るために活動をした。「おんまえや」さんの再建はウジエさんとは違い、はるかに大変で「マイナス」からの苦悩の9年間だった。理解者の姉を無くし、母子家庭の一人息子も当時小学生? 何も判らない中で、叔父の家族と共に生きて来た。高校を卒業し、色々な職種で頑張って来たが、叔父は「いっしょに」とは言わず、甥は一人で気ままに生活を続けていた。

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9年目の3月2日のスーパーの開店を目指し予定通り、スーパー再建時も叔父を手伝う事を甥はしなかった。従業員が再建の為に社長と、オープンまで辿り着き、従業員のこれまでの事を思うと、姉の息子であっても、社長はスーパーに入れる事はできないと、心を決めていた。共に苦しんだ仲間を思えばこそだろう。
開店の社長の来場者への挨拶で、これまでの従業員との再建の活動を想い出し、自然と涙が溢れていた。お客さんに「頑張れ!」と多くの声援があり、遠くの高台からこの光景を見ていた甥は、叔父のことばを聴きたくて走り出した。昔から働いていた従業員さん達に、頭を下げて回った。
社長(叔父)の前で甥は「すみません!」と頭を下げた。決して帰ってこいとは言わなかった。それは「従業員のてまえ」と私は感じた。強い人間になってもらいたいとの気持ちからだと思った。甥も新たな覚悟で、今後を行き、きっと将来は後継者として返り、一から頑張り、母への恩返しに「女川おんまえや」を発展させて欲しい。私はこんな「ハッピーエンド」を願っている。

「新型コロナウイルス感染症」の日本の大混乱の中、更なる試練が社長に覆いかかり、きっと姉の子供が必要になる時が来ると感じる。


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