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2019
10/08

旧志津川町の面影は消えました


志津川の皆さん
お忘れではないでしょうね
60年前はここが潮干狩りの場所でした
その名は「小松原」です
その面影は何処にもありません

先々週の土曜日に水尻川の橋の上から、写真の場所を撮影した。
震災後の1か月目頃には自衛隊の仮設の橋が設置され、国道45号が通行可能になった。これにより戸倉地区の被害状況を知る事が出来、戸倉剣道の12名の消息の無事を確認できた。子供達は登米市登米町に避難していた。しかし、多くの家族が亡くなっていた。小中学生はまだ学校にいたので助かった。
こうした地震の発生から、30分後の津波の襲来でも、適格・迅速な学校の対応が命を守った。30分は長いようで、混乱の中では短い。命が繋がった事には、様々な幸運と直面する避難行動の偶然が、命を繋ぐ事に繋がった。

震災の風化があるが、住民の中には「もう忘れたい」「思い出したくない」など、今回の大災害の悲惨さが伺える。震災から8年半を経て、津波の脅威を知らない子供達がいる。伝える事は災害だけでなく、命に係わる事が起こった時の「自己対応」を学ぶ事が大切です。子供達に3.11大災害を伝える事の意味を、両親からも伝える事の大切さがあると私は思う。
昭和35年の「チリ地震津波」はまだ5歳の私でも、町が防潮堤などの津波対策での町の映り変わりを、おぼろげに見て感じている。私は家を流され新井田の町営住宅に住んでいた「三輪先生」の所に、しばらくお世話になったと言い聞かされてきた。互いに助け合う事の大切さがそこにはあった。

震災からの自分の行動に恥ずる事は無いが、多くの人が全国からは入り、人を疑う事のない純朴な住民が、私を含め志津川地区には多い。大災害の心の隙に入り込む犯罪者は、この大災害でも各地で横行していた。現在もである。


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