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2019
04/14

あの時から今に合掌


登米市津山町の「柳津駅」の線路がまだ残っていた。岩手の「三陸リアス線」は震災からの復興のシンボルと言う。気仙沼線の南三陸町戸倉駅を再建し、ただ一つ残った南三陸町の鉄路の玄関口として、再建すれば今後の戸倉地区の再生に繋がると私は考えます。被災地再生の70億は安い物。

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高野会館の震災当時の様子を、当時、社協の職員だった佐々木さんが証言した。
昨夜はテレビで見る物がなく、8年前の3.11のテレビ録画を見た。高野会館では社協の「芸能大会」が開催され、その時は300名を超える方々がいたが、大地震で家に帰った人もいて、その中の何人は亡くなったと聴く。
会館の屋上には職員と社員の誘導で300名が避難し助かった。当時のヘリの映像が流れた。高野会館の屋上の奥が志津川病院で、入院患者が窓から津波の引き波で流れる姿が映っていた。話でしか聴かなかった現実がここにはあった。佐々木さんは言う。ベットで流されていく人達に、手を差し伸べる人達の姿がここにはあった、と。こんな地獄のような光景が被災地で起こっていた。

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佐々木さんには4人の子供達と母と妻がいる。会館から志津川小学校にいるだろうという家族の元へその後に帰った。長女が「とうさん」と抱き着いて涙を流し、喜んだ事を今も思い出すと涙が出ると言う。娘は現在、大学でソフトボールを頑張っていると言う。「大地震が起こったらすぐ逃げる」「3.11を忘れるな」は震災から得た教訓である。私は父から言い続けてもらっていた。


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