2018
06/17

何の為に生きるのか


人の為に生きて行く! こんな事を常々言っていたが、最終的には自分の為だったのではないか! と思える節がある事を感じ始めた。

今日は米谷の母の実家に、母の三回忌の案内を持って行く。足を伸ばし「みずかぶり」の奇祭の米川へも、母の妹の嫁ぎ先の従弟にも案内を届けてくる。帰ってからは歌津の恩人の先生に線香を手向けに行く。御世話になった親近者の供養の焼香は、できる限り、続けて行きたいと思っている。今日も戸倉荒町の方が亡くなられて「葬儀開催の報」のチラシが入って来た。
昨日は「菩提寺・大雄寺」に、正式に法要のお願いをしてきた。先祖への感謝はこれで、私のする事は終わりと思っている。父と私の事は何もしなくても良いとも考えている。

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私と故人が手掛けた「自分史」が、葬儀会場に展示されていた。自分の生き方の証と、素晴らしい直筆の「書」の写真が、子や孫に伝えられていく。これまでの川柳や短歌・絵画などの、自費出版の作品のお手伝いをした。皆が亡くなられてしまったが、100歳を過ぎたまだまだ元気な父の友人の「川柳集」は、2冊も発行している。しかし、父は自分の作品を作ろうとはしない。何故かと考えると、そんな事に「お金を使いたくない」との考えのようだ。子や孫には自分の生きた姿は、今の姿だけで十分との考えと感じる。寂しいが私には何もできない。

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沼田地区の私の家の後には「仮設郵便局」があったが、同じ地区の役場の近くに郵便局が新築され、以前は15日になると自宅周辺は混雑した。年金受給の振り込みがあり、引き落とす車の渋滞があったが、今は人通りも少なくなり、まして車の通行は8割も減った気がする。それでなくても自宅前を通る人も無く、外で陽を浴びる父は「誰も通らない」と、寂しそうに話す。
「田畑も来ないし、須藤からも電話が無い」と、仲間の状況を心配している。95歳の父を心配するのは親戚だけで、「他の人は年を取り、自分の事で精一杯」と、父に伝える。寂しそうに自分部屋に入った。

私は父に何もしてやれない。自分の為に生きたいと思っている。今日はウジエに買い物に連れて行こう。

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