2018
05/30

「砂浜」も「干潟」も消えた南三陸町の防潮堤整備計画


昨日は戸倉地区の現在の姿を見に行った。

波伝谷地区は戸倉地区の漁港の拠点としてあり、水戸辺川の河川堤防は、いったい何を守るのだろうか? 巨大な橋と堤防は何も無くなった地区に整備されていた。南三陸の海はかさ上げされた「国道398号」があり、その前の海岸沿いに防潮堤を整備する。
気仙沼市の大谷地区は国県の防潮堤計画に意義を申し立て、住民の計画反対は「大谷海岸を守る」との思いから、防潮堤整備を中止し、国道が防潮堤の役目をする「共用」の形を取った。市内の入り江の防潮堤整備も、土地の隆起もあり20㎝が計画より高く整備工事となった。住民の反対と菅原知事も市民の意見を尊重し知事に意義を申し立てた。村井知事は「工事を進めながら、市民に理解を!」と言い続けている。長期政治の「おごり」が、県民の声を無視した行動へと突き進む。

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31年に整備される南三陸町の「自然活用センター・ネイチャーセンター」は、震災で残った旧戸倉中学校跡地(現在戸倉公民館)に整備される。町の震災の後地として、多くの観光客が訪れていると言う。しかし、ここまでの道路は積まれた残土の山の間を通り抜け、何処が何処なのか解らない道が続いていた。南三陸の津波で消えた町を紹介するには、その切迫した危機感を味わえない、現在の被災地の状況があった。
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現在は「戸倉民族資料館」として、二階の3教室を利用し、漁具や被災品と戸倉中の生徒の生活の一部を展示するだけの場所だった。観光バスが朝夕4台前後訪れ、観光客は高台からの戸倉の入り江の、津波襲来の状況を説明するには格好の場所となっていた。戸倉の折立から家々は消え、折立向かいの干潟は残っているが、人口の干潟となっている。ゴロゴロとした石と隙間の砂浜には、沢山のアサリと生物が生息し、海の食物連鎖がここで繰り返し、素晴らしい磯を形成していた。

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町で暮らす人たちからは聴かない声を聴いた。勿論、町外から南三陸町にいる人たちの声は、「何で海の見えない施設なの」「議会でなぜ防潮堤の在り方を議論しないの?」だった。
千年に一度の今回の津波「L2」は10年後に来ても、不思議ではなく、人命を守るためには「沢山の避難路整備」が津波の町には望ましいと思う。多くの津波防災の為に、人の暮らしの場所が消え、延々続いて来た海岸の形成に人間の手が、余りにも入り過ぎた気がする。

津波は地震から5分~15分そして30分の時間が、早くても到達までの余裕があり、その時間を利用すれば、暮らしの姿は消えても人命は助かり、人間の可能性を持ってすれば、暮らしの再生は容易と感じる。どこに震災復興計画の本意があるのか、住宅再建も終わり、町民も考える「検証」をする時期に来ている。

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