2018
05/15

登米市に南三陸町民の調査 悲しい事件も


登米市に移転し住宅再建した住民宅を訪れた。
志津川地区と戸倉地区の縁類で、2世帯は新たな環境で、地域との交流を深め家族で元気に暮らしていた。南三陸町の海の幸を少しばかり持参した。

余りにも悲しい南三陸町の移住者の、登米市での悲劇的な話を聞く。我が町になどこんな話は届く訳も無く、心配と何とか元気にと、思わずには居られない。
戸倉地区の方で高齢の老夫婦が行方不明になっていると言う。奥さんの認知症の悪化と、御主人の「老い」に苦しみの中で生活をしていた。登米市では不明者として捜索をしているが、今だに見つかっていない。既に2か月余りが経つと言う。私の親戚は「御主人が妻を不憫でいっしょに連れて行ったのだろう」と言う。登米市の消防署の近くに住み、隣には迫川が流れている。
大震災で止む無く町での再建を諦め、早くに登米市で生活再建した中での事件だった。震災の二次三次災害と言える。近所に昔からのご近所さんが居たらそんな事は発生しなかった。生活はできても地域の繋がりや、行政の監視の目が確実だったかと言うと、何とも言えない。人生の最後としても、自分の両親は幸せだと感じる。
また、登米市で暮らす南三陸町民の周囲でも、色々な問題も発生していると聞く。縁類は「南三陸町の広報を見たい!」と言う。広報の死亡欄が気になるようだ。暮らす地域の集まる場所にも、時々南三陸広報が置いてはあると言うが、早々に無くなると言う。登米市の広報を初めとする、行政の配布物の私の調査でもある。こんど町の広報を持って行きたい。

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昨日は我が社の工場のとなりから、工事の音が聞こえてきた。自宅の下には志津川郵便局が震災後に仮設で建設された。今年の4月ごろから、町の新庁舎の隣に移転した。土地の借地は更地にして返すのが基本としてある。
郵便局が移転した後は、人の流れや車の数が激減した。震災からの復旧・復興そして「発展期」と、町の変化に住民の生活混乱は益々大きくなっている。志津川市街地の「う回路」は住民にとっても迷路となり、町外から来る来町者の交通の問題は急務ながら、町の生活基盤整備はまだほど遠い。高台からの連絡道路の整備は勾配があり、住民生活は自動車なくしては厳しい。高齢者率も40%に近づき、その高齢者の買い物の交通支援は急務と感じる。

登米市での移住者の生活・買い物や、病院など環境が整備されている。我が町の「揺り籠から墓場まで」の町の住民サービスの、今後の低下と経費の拡大を懸念している。写真は登米市の「斎場」です。

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