FC2ブログ

2018
04/10

南三陸「桜だより2」 志津川高校の回廊


宮城県志津川高等学校の入学式が、今年も無事に開催される。生徒数の減少は大きな問題として継続している。
高校までの通学バス運行、登校坂の命名、志翔学舎など、前山内校長は高校の町の存続の為に尽力された。町からの1200万円・1800万円のふるさと納税で、学力向上を願う父母の為、町の予算を投じ、塾を開講した。今年は町議会議員へも入学式の来賓の案内を出した。

IMG_6221.jpg
志津川高校の卒業生は1万人を超えた。47年前に私もまだ小さい桜の並木の坂を歩き、母校「志高」に入学した。普通科3クラスがあり、2年から進学組「4組」を選んだ。この頃は大学進学を夢見たが、家庭の都合で2年の後半には進学をあきらめた。その方が楽だったのかも知れないが、今は後悔している。社会に出て学力は必要ないとの未熟な考えで、多くの苦しみをこれまで体験した。
入学生には、学業と部活で多くの友を作り、自分の持っている知力・体力を発達させて欲しい。自分の取り巻く環境に流されず、将来の自分の醸成の為に、有意義な学校生活を送って欲しい。政治を見つめ、何かこの国に、そして南三陸町に欠けているのかを考えて欲しい。
IMG_6242.jpg
陸町に欠けているのかを考えて欲しい。
私達の時代は普通科3クラス120人だったが。今年は2クラスとなった。子供達の減少は深刻である。私の弟時代は5クラスで、町内の中学生の大部分が志高に進学した。そんな時代は夢となってしまった。

大震災の事を避けては通れない。高校下の廻館地区の住民は、中学校跡地の非難場所から高校へと、高い所へ最終的な避難場所とした。校庭に「SOS」の人文字を作り救助を求めた事は記憶に新しい。多くの怪我人を救助し、ここから「ヘリ」にて重症者の搬送を自衛隊がおこなった。体育館には多くの住民が、二次避難の場所が決まるまで生活した。みんなが片寄せダンボウルの仕切りの中で生活した。現在は高校仮設も解体され、生徒がのびのびと運動できる環境が整っている。「青年よ大志をいだけ」「悔いのない生活を」など、今から心に描き、挫折しようになったら友に助けて貰おう。決して一人ではなく、自分の事を理解してくれる親友を作ろう。今日から義務教育が終了し、自分の選ぶ道を進む。

IMG_6225.jpg

頑張れ志高生!

朝から大阪の知人が送ってくれた「京都城山の筍」を、作る。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:25 】

COMMENT
POST A COMMENT


















 TOP