2018
04/09

南三陸町「桜だより」パート1母校


今日は志津川中学校の入学式です。63名の新入生が学業やスポーツで自分の夢の実現に向かい歩み始めます。

かれこれ44年前の我が母校「志津川中学校」です。跡地は社協と老人ホームとなり「津波避難歯所」としてあった。あの大震災の津波の襲来で、建物は被災し解体され、今は「JA南三陸本所」と、震災復興の「建設会社仮設事務所」が写真の場所に建った。

IMG_6195.jpg
44年前の姿は無くなったが、当時の桜は津波に被災しながらも、今も脈々と花を咲かせている。我が母校は今も写真のままで心に宿っている。体育館での毎日の仲間との剣道の練習があり、今は地元に2人しか居なくなった。3人が亡くなり他は町外に散らばった。三年生の時に二階で牛乳をコボし、一階の職員室の赤川教頭先生の机に滴り、呼び出され「げんこつ」を貰った。良き教育で、良き想い出で今も忘れない。勉強は低レベルながら友と争った。初恋もこの頃だった気がする。楽しい想い出がいっぱい。後輩達も中学時代を存分に楽しんで欲しい。

IMG_6205.jpg
母校の桜の老木にはツタが絡まり、共生しながら被災地の町で今も蕾を付ける。母校は高台に移り、すばらしい環境で教育を受けている。しかし、環境は違えど我が仲間は60歳を過ぎても、立派に今を生きている。船乗りも多く、教員・公務員・医師・会社員・社長など、自分の居場所を見つけ、今を自分なりに自由に生きている。苦しんでいる人間は少ない。助け合って生きた時代、まして「いじめ」など無かった。多くの環境の変化が、人の心の闇の部分で増幅している。

IMG_6196.jpg
旧志中の登校坂は津波で町は消えても、造成整備されずにそのままで残っている。坂の上に立つと昔の思い出が、校門・桜の入学・卒業が走馬灯のように思い出される。今の子供達は新たな想い出を作るだろうが、前東京オリンピックの高度成長期の私たちの時代とは激変し、多くの社会問題と経済環境の厳しさの中で君たちは行かないといけない。だから中学時代にその生きる術を習得して欲しい。
自分の道は自分で切り開くしかない。

スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:16 】

COMMENT
POST A COMMENT


















 TOP