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2018
03/23

この日の嵐のわうな怒濤の一日


ついに玄関の木製の衝立が春の嵐でボロボロとなった。それくらい一昨日前の「爆弾低気圧」は凄かった。
そんな中で県税の建物調査が午前中にあった。なんでこんな日にと思う。「建物取得税」の現地確認で、二人の職員が、まだ何も無い志津川市外地の換地の高台に来た。これでまた、会社再建の一つが片付いた。この場所は山降ろしの風が非常に強く、「のぼり」も重しがあっても一緒に倒れる。この市街地は今の所、工場再建は7軒で企業誘致はない。本浜町・南町・十日町の震災前の面影はもうどこにもない。

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南方仮設の先輩が「引っ越し中です」と、薔薇の花を二輪持って来てくれた。いまは3軒の被災町民が住むまでになったと言う。頑張り屋の先輩、引っ越しや仕事で少し体が「まいっている!」に感じた。自分でも感じているようで、「疲れている。」と一言、まだまだ人生の道のりは長く、ゆっくり歩んで行きましょうと話した。

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3時から叔母の嫁ぎ先のお寺で、津波で本堂が倒壊し、「倒壊した本堂の柱からギターを作るプロジェクト」のお披露目があった。制作されたのは4本で、その音色の素晴らしさを、プロも絶賛している。1本はアメリカに渡っていると言う。住職は大事に保存し、一人のギタリストがコンサートをした。私は1時間居たが準備が伸びて、仕事の用事で帰った。大阪からの電話や、荷物届きましたと携帯が何度もなった。

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夜は「まちづくり未来」の会議があり、「南三陸町震災復興祈念公園」の、要望に対する回答についてが儀論された。5年前? 奈良の大学の宮城教授の設計が、アリーナで説明されたが、あの時から何も変わらない。28年の11月から会議が実施されていない事に驚く。それでいて12回の志津川町づくり協議会の、「輝く未来づくり部会」だった。
祈念公園の構想に疑問を持っている私は、最初は「何も話すまい!」との思いは、他の被災地に比べ建設的な議論の無い会議に、一つ二つと鬱憤が爆発した。「なぜ慰霊碑を建てないのか」「震災で亡くなった町民の名前を刻まないのか」「歌津地区民も入れて議論しないのか」など、祈念公園の構想には、多くの住民を入れない、行政主導で、町民の意見など何処にも入る余地は無いようだ。
一番驚いたのは、こんな大きな津波を体験し、祈念公園の建設で、多くの来町者を迎えようと言うのに、「避難道」が新設されなく、既存の道路を利用しての非常時の非難体制だと言う。
首長は800名もの町民を失い、多くの観光客を迎えようとした時に、津波対策の無い町づくりに、南三陸町の悲劇は「起こるべきして起こった!」と再確認した。一日も早く新しい町のリーダーの誕生を期待する。

今日は地区の「役員引継ぎ式」があり、夜6時半からで、また今夜も出掛けないといけない。1時半には父を病院に載せて行く。機械の調子も悪く、多忙と心配ばかりが頭を駆け巡る。今朝の空腹時血糖は「180」と高く、今も震度3の地震が発生した。


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