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2018
01/13

震災の検証から見えるもの


昨日の河北新報に大川小学校の悲劇の検証記事が載っていた。「裏山に避難。食い違う証言」と、その凄惨な状況が目に浮かぶようだ。学校で起こった事には「誰が悪い」とかは無い、経験した事の無い学校の先生・児童が、一生懸命に生きた逃げた証があった。その現実は余りにも悲し過ぎる結果が待っていた。家族の心をどうして癒していくか。無くなった児童・先生の死を無駄にしない、市長と教員長の亡くなられた者への、慰霊・追悼・伝承をどうしていくかに在りそうだ。

児童が108人の内で「70人」が亡くなり、「4名不明」となった。先生も11人の内で「10名」が殉職した。助かった一人の教師(男性・56歳)を追った。6年10か月が経っても、大震災を納得するには沢山の時間と、家族に寄り添う人々が必要だ。その怒りや悲しみが一日も早く薄れ、普通の時間と生活で流れる事を祈りたい。

被災地の何処でもある「土地の活用問題」は、大規模な被災現場と、新たな復興計画の限られた場所の土地整備に時間が掛かる事で、多くの問題が発生し、震災後の再建の意欲が失われてしまった事にある。
被災者は将来の会社・住宅再建を夢み描いたが、人口の減少と高齢化が、先祖代々の土地への想いがあった中で、国の震災計画の不備と、被災者のその再建の厳しい現実が、日に日に増し土地の整備ができても、「ここでの再出発は難しい!」との結論が、国と行政の計画を予定通り進まない事へと繋がった。

2011-04-24 13.52.19
私は「早期の住宅再建」を一番に挙げたが、我が町を取り上げれば、市街地の嵩上げに6年も要し、住宅再建の土地整備にも、小さい地区の高台移転は早かったものの、中心市街地の高台土地整備に、震災後4年から5年もかかった事で、人口流失と土地の空き地問題へとなった。町長派計画通りと言う。貴方の国の政策に添い過ぎの政策が、失敗だったと認めない事も、南三陸町の将来への懸念だけが残る。
早期に土地の整備ができる場所の選択と、被災者の心を町の留める政策が欠如していた事に、今の被災地の問題がある。行政は町の財源の確保を早期に進めるばかりに、会社や産業の推進を図り、被災地の住民生活を後回しといた。その結果として「労働者不足」「高齢者の増加」となり、その対策に追われる結果、住みにくい町へと変わり、消滅都市の一因となってしまった。復興する為には住民の帰還を追求する事が第一目標なのに、「観光で町再建」などと、本来の町づくりから悦脱した構想へと、我が町は進んでいるような気がする。

私は後10年はこの町で頑張り、会社を継承してくれる若い町民が現れれば、会社を託し、その後押しに務めたい。これまでもこうした同系でない、会社の存続がこれまでもあった。これを解決するには、多くの若者の存在と、「この町で生きるために何でもする。」、こんな強う若い野望を持つ人間の誕生を願っている。
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