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2017
10/26

自分にいったい何ができるのかを考える


奈良の友達からお祝いの紫のコチョーランが届いた。「町長さんと上手くやって下さい!」との助言を頂く、今後とも仕事の協力と御指導をお願いしたい。互いに仕事・生活でもプラスとなる交流がベストと私は思う。送ったサンマを美味しいと言ってくれる。地元でも旬が過ぎても「鮮さんま」は、まだ高くて「いつでも買える」かと言うとそれはなく、昔から美味しく食べている私にとっては、年一回食すれば良いと思っている。

現在、我が家のリビングには、ユリの香りでいっぱいだ。共に志津川町本浜町で暮らしていた、父の同級生の逝去で、葬儀で供花のりっぱなお花をいただき、満開となっている。このユリのように華やかな時代、そして本浜町だった。現在は私と親友が被災した本浜に帰り仕事を再建させた。彼は生業を、私は「慰霊」と「想い出探し」「震災・人・本浜町の伝承」を目的に、小さなユニットを置いた。色々な事に活用したいと思っている。

志津川地区「中央団地」が綺麗なコンパクトシティーとして生まれ変わっている。教育・スーパーなどが隣接され、住宅地には3世代家族も多く住む。隣の災害公営住宅はと言うと、65歳以上の高齢者が5割にも及ぶ地区となっている。これからどんなふうに変わっていくか見届けたい。
今日はお昼に仙台で会議がある。そして会社は少し忙しい。

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≪教育委員会改革2≫
町村合併から12年間の教育長の一人に、田生校長があり教員となり地元を渡り歩いた人で、南三陸町の事を判り、歴代の教育長の意をくむ人思っている。残念ながらその道半ばで津波で殉職した。純粋な地元出身の教育長は、政治活動をすることなく、これまで町民の教育者の代表として、町の為に尽力してきた。教育機関は行政の長とは一線を隠し、町の為に両輪としての機関として、教育現場を第一に考え、時には町長への異論を申し上げて来た。現在は全てとは言わないが、町長が任命する教育長は、町外出身者が全てで、優秀な地元の校長出身者を教育長として登用しないのは不思議である。自分の思うように教育機関と学校PTAを自分の支持者として、教育を政治に取り込む、あってはいけない町づくりをしている。誰も独裁的な行動に「鈴を付ける!」事無く、お仲間政治が今もこの町に存在する事は、町にとっての新しい町づくりの障害であり、良き町の教区者としての人材の活用の場を失わせ、教育関係者の育成にも影響を与えている。

こないだ教育長として継続となった「佐藤教育長」は、岩手出身ながら南三陸町の教育の発展に尽力された。長年、南三陸町立志津川小学校校長として子供達の成長を見つめて来た。立派な良くできた人材と称賛したい。町の将来の教育者・教育委員会の発展の為にも、「もうイイでしょう!」と言いたい。次期の教育長は地元から採用を町長には懇願するものです。
(終わり)
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