2017
07/11

南三陸町に襲来した大津波の方向に


平成29年7月11日は祈念すべき日になった。大震災で千葉家の全てを流出し、仮事務所を戸倉荒町に設置し、荒町の山間の牛舎に印刷機械を整備し、知人の御蔭で再スタートを町内できた。その後に志津川地区の商工団地に住宅の建設をして、小さな工場も移築した。ここまでは私の人生の予兆でしかなく、「以前の場所に何かをしたい!」があり、今日の午前10時から、千葉印刷跡地として、慰霊塔を立て津波で亡くなった住民と、志津川市街地への追悼の気持ちを込め、慰霊塔への真入れの法要を行う。ここを志津川での「千葉印刷営業所」として、震災後の復興への歩みの発信の場としたい。
こんで震災からの再建の最終章を迎えた。

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南三陸町志津川の細浦地区の「徳性寺」、辻大和尚様の千葉印刷の真入れ法要に引き付き、23.3.11の東日本大震災で亡くなった「812名(不明者込)」の御霊への慰霊法要と、本浜地区の震災死となった「9名」の方々への、慰霊供養会を同時に執り行った。
我が社の土地への会社の慰霊・感謝の意味の「慰霊塔」ながら、大津波と言う理不尽な自然災害で命を失った方への、供養の気持ちがある。また、先月亡くなった私の叔父も、この地で生まれ育った、想い出多き土地での供養会は、相通じる物と私は思い、このような形での建立式の、慰霊祭・建立式を開催した。多くの地区民も同様の気持ちがあのながら、営む事の意味とその難しさを感じる。取りあえず私はこれで一段落する。

30℃を遥かに超えるこの日、和尚様は重たい衣を着用し、汗だくになりながらの法要だった。93歳を迎えた父も、熱中症に注意しながら、「慰霊塔建立式」に参加し、私の希望に応じてくれた。きっとこの場所に来ることは二度とない気がする。
父への最後の孝行と思っているが、私の独り善がりなのかも知れない。友人の千葉印刷営業者の設置に「祝いの胡蝶蘭」は、感謝感激で、一人でも支えてくれる人が居る限り、私は復興の足を進めたい。
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