2017
06/30

私は絶対にあの日を忘れない


家のリビングにはピンクのゆりが咲き、亡くなった叔父が家にまた来てくれている。震災後に倉庫は暑いだろうと、叔父は窓に保温保冷のビニールシートと、暖簾を日除けにガラス張ってくれた。こないだまでは、母を見舞いにそして葬儀、以後の焼香に事在るごとに来てくれていた。自分の健康よりも父の体調を心配してくれる、その優しさには頭が下がる。
92歳の私の父と、72歳の一番下の弟の関係ながら、二人の母は違い、その確執を長年見て来た。月日と年を重ね二人の垣根は少しずつ取り払われていった。互いに健康を気遣う二人の心をひしひしと私は感じていた。できる事ならもう少し父の元気を叔父に分けて上げたい。

土地の引き渡しから2か月が経つ、2m×5mのユニットで震災前の土地で、営業所を静かにスタートさせたい。写真の自宅の会社の玄関に車が突っ込んでいたる、この場所の向かいに土地を換地された。
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あれから6年3か月、換地から2か月で土地の近くには電柱が立つものの、電気・電線が来ていない。水道の引き込み線は見えるが、ここまで水が来ているかは判らない。夏に向かい小さなユニットは暑く、来てくれた本浜地区の高齢者が休むには、「熱中症」が心配だ。電気は「遅くても5月までには!」とUR都市機構は言っていたがまだで、昨日の5時頃に電話したが、どうなのかは6時まで待ったが連絡は来なかった。ユニットにはエアコンと流しが設置されている。すぐに使える状況ながら宝の持ち腐れである。とにかく色々な形での「集える場所」ができた。8年越しの公約を全うした。

私の土地の向かいには友達の「歯科医院」の本設の建物が建設中で1か月余りで建物が出来たが、内装・設備の設置もあり、オープンは9月を予定している。私たちは現在、60歳・61歳と「後何年仕事が出来るのだろう」とよく二人で話をする。「私達には時間が無い!」がある。仮や仮設のままで終わりたくはないと、後どれだけ仕事が続けられ、南三陸町志津川にどれだけ貢献できるか、これからも頑張ってこの町で生きて行きたいが。
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