2017
06/06

定点写真は叶わなかった


震災後から桜の名所の「東山公園」から、志津川市街地の移り変わりを撮影しているが、昨日は時間が有ったので、平成24・25年の東山からの写真を探した。残念ながらその写真は見つからず、「ここは何処?」と言うような写真を見つけた、良く見れば判るが、今はこの光景は何処にもない。

大久保地区の入口で、向こうに見えるのが「松原団地」で、手前は水尻川の河口の入口の瓦礫を、バスで来町し瓦礫撤去に来たボランティアが活動している。記録は24年の5月ごろにあたる。国内からの多くの再建支援の活動を伝える場所が無いと、ここまで復興してきた証は、誰が伝えて行くのだろうか。町民は以前の町を忘れてしまいかねない。見るのが嫌だとか、辛いとかはあるが、この現実から目をそらす事は「正に風化」に繋がる。私の従業員も多くの悲しみが震災にはあるが、「写真の選択に辛かったらやめていいよ!」と言ったが、千枚以上の震災写真を見てどう思ったのだろう。

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昨日は「地方創生は海洋創生」の講演会に石巻グランドホテルまで行った。50分で到着と高速道の利便性は高い。でも車あっての世帯へのメリットである。
講演は「海花復興の会」の佐藤社長の話で、「人間は限りなく海に近づく!」と言う。震災の津波でもこれまで、「津波をおそれ陸に移っても、年月が経つと海岸近くにまた戻る」とこんな話を私の町の現実として聞いた事がある。
その他にも大槌町の話は、町は巨大な防潮堤を造り町を守ろうとした。ここに住民の津波に対する過信となり多くの住民が亡くなった。町には「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島があり、ここには防潮堤はなく、地震発生でこれまでになく潮が引いた。「大きな津波が来るぞ」、と島民は皆が一斉に島の高台に逃げ、誰一人亡くなった人が居なく、総ての人が助かった。
昔から言っている話は「海を制するものは世界を制する。」こんな言葉にも由来していると話す。

東日本大震災では「72時間の命の壁」があり、陸路での救援活動は難しい状況に有った。そんな中で海からのアメリカの船での「ともだち作戦」により、米国の救援活動で多くの人達が助かった。

港町に暮らす私たちは海の力を忘れては居ないだろうか。海からの多くの恵みで町は潤い多くの人々と経済がこれまで発展してきた。交流人口拡大で町の再建を図ろうとする町の政策の誤りは無いだろか。また「リーダーのあやまち」を繰り返し、それを許してはいけない。
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