2017
05/08

大きな力には細やかな願いなど届かない


三陸海岸の沿岸を縫うように走っていた気仙沼線は、昨年まで復活を願い要望書が「JR東日本」「行政」「国」などへ、鉄路復活として地区民の願いがあった。しかし、最低限の「陸前戸倉」までからの仙台間の開通は、海の泡と消えつつある。電車の線路が撤去されていた。知らないうちに!
夢の無い現実と言う政治的に簡単な路線の解体は、我が町の震災から復興への動きに、私は落胆しかない。こんな行政の諸々の姿に長年住んでいた住民の、夢と希望の喪失が「人口移動」に繋がっている。この現状への対策は何も取る事無く、子育て支援への金のばらまきで、町の人口流失阻止という。町外の人材に町の再生の手助けとして、移住を繋がす活動では真の人口増加とはなっていない。これまで南三陸町を創って来た方の、鉄路・人・海・山・川の総てを、新しい姿に変える事を、先人は望んでいるだろうか。
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昨日は30年も続き先輩の竹林に分け入った。もう少しと言う「竹の子」の成長ながら50本は獲った。ワラビは800本、自然のままの姿が何十年と、ここには息づいている。多くの自治体で「鮭の放流」は、魚の成長と産業の推進への触れ合いが目標のようだ。大震災復興は鮭の回遊への障害となっているが、最大の障害は人間の復興と言う名の「開発」にある。大震災を利用し国の建設業の拡大と維持が、垣間見れる。震災復興が終わると、今度はオリンピックと次々と国の景気拡大がここにあり、国民の安定生活確保がある。私の考えには無い時代の流れである。
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昨夕は歌津の後輩に「竹の子」のお裾分けに行った。大人は留守で新築の家にはカギが掛っていた。留守だろうと返ろうとすると、娘さんが出てきた。「お母さんに」「今度お祝いくるからね」の言葉に、「待ってまーす。」と満面の笑顔で答えてくれた。素直に育つ姿に両親の性格が確実に遺伝していた。
帰りには「ハマーレ歌津」に回った。地区民の為に、地区民と共に、との店主の願いを伺った。しかし、二つの町の合併には公平感が薄い。当事者も語らず声を上げようとしないと私は思う。大きな圧力を行政から感じる。言えば大きな力でねじ伏せられる怖さがあり、震災からの途上でしょうがない。なんて優しさいっぱいの町民が住む町「南三陸町」である。私は最後まで独裁には立ち向かおうと思う。

今日も暇なので仕事は従業員に任せ、病院と我が社の新聞のチラシ持ち込みに行く。

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