2017
04/30

こんなゆったりとした生活にあこがれて


昨日は自分たちの世代の年「昭和の日」で、元号が「平成」と変わり、また現天皇陛下が退き、新元号に変わる。父は大正・昭和・平成から4つの年号を生きる事となるだろう。昭和が長いせいで、早期の現元号が終わる。
政治も社長も長期の君臨は、余り良い成果を生まない。我が家も諸々の事情で、94歳になる社長が今も健在で、私が生まれる前から社長職となり、70年はその地位にある。その為か世代交代に失敗したかもしれない。しかし、子供達は自分の考えで自己の道に進み、皆が悔いはないようだ。私も後10年、自分らしく生きて行く。現状は「楽しくあっても、決して苦しい事はない!」

昨日の生活からも解るだろう。朝は6時起床で、ほんやり時間を過ごし、「愛と死と希望を見つめて」のブログを30分掛け、今の生活と現社会への想いを綴った。冷蔵庫の残り物と手作りの料理で朝食をとり、「辛坊の情報番組」を見て、9時半から行動を開始した。
「今日は家の事をしょう!」と決めていた。先ずは家庭菜園の雑草取り、プランターの昨年の片付けをした。今からの「野菜苗」の準備をした。それと共に冬物の洗濯機を回した。次に台所の流しの排水溝の掃除で、コメリで手袋・ブラシを買い、台所のゴミ入れを洗い、三角コーナーと排水のゴミ受け等、総てを綺麗に掃除した。私が排水溝の掃除したのは新築3年目を終え初めてのことだった。次に洗濯物を干し、お風呂掃除だ。母が亡くなった時に、仙台の兄が父の為に浴室を綺麗に洗い、それ以来の掃除だった。浴槽掃除は私が最後の入浴の後に浴槽を掃除するぐらいで、隅ずみまで掃除するのは、新築後に私は初めてのことだった。午前中に全てを片付け、午後の来客に備えた。

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昼過ぎに土地換地の場所の確認で「石材店」が来た。200㎡余りの土地は震災の継承として、語り継ぐための場所を小さいが整備する。町民があの頃を語らず、町には当時の事を伝える場所も無く、6年間がただ過ぎゆくばかりだった。
午後3時過ぎに友人が石巻に行くと言う。「ニトリ」で父親の介護ベットの下見をしてきた。良い物で14万円ながら、今後の二人の生活を考えると、通るべき道と互いに理解はしている。その後は友人が薦める「はなまるうどん」を食べる。全国展開しているうどん店は、メガネを所時しなくシステムも解らず、一人でわざわざ行って食べる勇気も選択もない。しかし、美味いしし納得の繁盛ぶりだった。
もう一軒は石巻の道の駅「上品の郷」で、野菜を仕入れて来た。わさび菜・ほうれん草・サニーレタス・パプリカと、干しイモを買い千円足らずの買い物だった。キャンピングカーが何台も停車し、来場者が入れ替わり立ち代わり入り、国道沿いの立地の効果がでていた。三陸道の近くにあるが、石巻圏域で住民が多い事が「道の駅」の発展につながっていた。

日曜のテレビ三昧も、「日曜討論」「そこまで言って委員会」が無く、日曜の楽しい視聴の楽しみが減った。午後は何をしようか思案に苦しむ。こんな何気ない事に苦しむ幸せの中に今ある。震災時の時間の経過を感じる暇もなく、一日一日を家族三人で一生懸命に生きた事が、今考えても「よくここまで!」と振り返る。生かされた6年目を終え、今後の残された生活を志津川町の為に生きたいと思っている。

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