2017
04/23

宮城「涌谷神社」の桜見物


宮城県に61年暮らし初めて「涌谷城」と「桜まつり」を見て来た。30年ぶりだろうか、初めての結婚は涌谷の人だった。ここにもきっと来ていると、懐かしい若きロマンが湧き上がってくる。良い物です結婚は、しかし、別れは多くのエネルギーが喪失しました。そんな人生に悔いはありません。
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神社の高台の城跡からは、涌谷の市街地が広がっていた。露店や売店があり、周辺の地区からは多くの人々が「まつり」と「さくら」を愛でに集まっていた。子ども連れの家族が多く、観光客らしき人は少ないように感じた。地区民に支えられての町がここにあり、延々と続いていた。
古くから伝わる伝統や習慣に、平安な暮らしへの感謝の姿を感じる。地域の人が集まり平安を喜び合う、こんな祭りの姿が現在の我が町には無い。一日中人と話す事ない高齢者や、一歩も家を出ない災害公営住宅の住民もいると言う。地区の祭りへの理解も薄れ、人と人との繋がりも消えつつある。町の皆さんにも昔の良き時代を思い起こし、一日も早く以前の人々が支え合い生きて来た南三陸町に戻らないと、本当に以前のような旧志津川町は亡くなる。それを破壊したのは現職町長と私は思っている。
行政の震災復興計画を多くの人達に会った時に問う。「遅い」「もつと早い宅地の整備をしていたら」など、大震災で低地部の流失があったとしても、日本の力・知恵を結集する事をすれば、2年間あれば広い被災地全体も、被災地の人口移動はここまで至らない。
気仙沼市の災害公営住宅の整備事業費の総額を、入居世帯で単純に割ると「2900万円」かかったと言う。この数字には正直びっくりした。仮設住宅の整備には、基本的には一軒を「500万円」で建てるがあり、国民の生活の再建にどこまで政府が国費を使ったのか。誰の為に使ったのか。と真実がしりたい。国の成長率の拡大と、安倍政権の「三本の矢」の成功の為のように感じる。経済は止まる事は許されないが、国民ではなく政府の政策だのみを強く感じる。弱い日本国民の精神の弱体化を感じる。

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涌谷神社に願いを込め「家庭のもう少しの間の平安」を折りお願いした。志津川の東山公園の西宮神社には「工藤先生安らかにお眠り下さい。これまで色々と有難うございます。」と手を合わせた。先人への感謝を常に持ちたい。

これから歌津の商店街の「町開き」の写真を撮りに行く。友人の引越し前のお祝いと、同級生の家にも寄ろうと思う。
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