2017
04/13

神仏にすがる被災地を見た


我が家の菩提寺「南三陸町志津川・大雄寺」の大般若会が昨日開催された。震災から7年目となり、祈念の意味合いもあり多くの檀家が参加した。私も大般若会へは震災の年の2年目から、お寺を訪れ手を合わせている。

震災前には歌津地区の舘浜の「津龍院」の先代住職さんから、大般若のお使い上の印刷を頼まれ、「大般若会」を知った。先代も震災で本堂が全壊し、多くの苦悩の中で亡くなられた。町の民生委員や国際交流協会の役員として、震災後も活発に活動され、役場の仮の会議場前で、「頑張れよ!」と、手を握られたその肌の温もりを今も覚えている。

また事件が発生した。この町の行政は何処かおかしい。何を考え目的とし、現状に於いて何を成すべきか、適切な町政となっていない。住民も震災から既に復興したと勘違いし、あとはソフトの面だと言う。まだ住民の再建の苦しみはこれから始まる。ローン返済・新たなコミニティー作り・生活環境の不安定など、取り組む生活再生の途上である。

自治体派遣の職員の皆さんも、住民への対応はいろいろながら適切だと感じる。私も目先だけの会釈ながら、心の合っていない職員は、それだけの付き合いかも知れない。課長職員は多忙と勘違いをしている方も多いようだ。町の仕事が無くなる時も近いかもしれない。何十年も続いて来た、町行政と地元の事業所の関係が崩れて行っている。500以上あった事業所が、現在は200弱、これで地元の事業所が共に支え合ってきた会社が、生きられるだろうか。子ども達を対象とした仕事が成り立つのだろうか。被災地の町の生業が消えうせようとしている中、行政の成すべき役割は大きい。
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