2017
04/04

知らない社会に出て「見識」を高め町の復興貢献を

img925愛の福袋 東京
小さい世界「志津川」で生きた私は、仲間と比べても世間と言う物を知らないで、一生を終えようとしていた。大震災は多くの人との出会いと、自分の発揮していない力が蘇り、6年間でここまで来た。
高校生の言葉の中で、「一端は町を離れるが、町の復興を支えたい。」があり、大震災で父を無くした娘は「南三陸町のツアーを企画したい。」と、町の再建に何かをしないといけないと、自分の夢に向かって歩み始めた。

私の先輩が昨日来て、登米市で働きながら志津川の災害公営住宅で暮らすと言う。震災後の登米市の生活で「自分の居場所」を見つけたようだ。仮設から災害公営住宅に入った方は、「自分も家族の為に何かをしたい」と電話をくれた。震災後に会社の仕事を回したものの、今は自分の経営も厳しい状況で、仕事を回す余裕もない。
町の事業所の減少と、農水産業の高齢化と担い手不足で、町の商業と産業はどうなって行くのだろう。町も高齢者の仕事斡旋や婚活など、取り組まないといけない状況となっている。「町民を守る行政と変わる時代」になっている、そんな被災地南三陸町だ。

商工会のさんさん商店街の来客調査があり、宮城県が一番多く、次に東京と埼玉だった。メディアによる情報発信が、被災地支援として来町し商店街を訪れていた。町民の商店街の利用は「4.1%」と、町の商店街としての利用は少ない、来場者も仙台市からが「34.1%」と、ダントツに多い。
三陸道が「志津川IC」の開通が10月の末にあり、この効果は大きく人の流れを生んだ。「南三陸海岸IC」は気仙沼への利便性が高まり、ストロー現象となった。

南三陸町志津川さんさん商店街は、開業から21日の入込延べ数は「16万7千人」だと言う。以前の商店街は5年間で200万人が訪れ、平均すると年40万人となる。既に以前の35%の来場者までになっていた。ある飲食店は一日に150人の来客、あるお菓子屋さんは500人の来客を迎えたと言う。毎週のイベント開催が現状を継続する為の条件でもある。

世界平和女性連合の東京での第25回総会に招かれた時の写真です。全国の女性の皆さんの優しい対し方に、学び癒された時間でした。こんな姿を「我が町にも創りたい」と参加して感じた。誰へだてなく公平・平等に生きる権利が私たちにある。不公平な姿を垣間見た時「この町嫌だな!」と感じる時は悲しい。「この町から去ろう!」と頭をよぎる時が多くなった。
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