2017
03/22

南三陸町と震災による地方の疲弊と発展



南三陸町の志津川地区の中央区の災害公営住宅が、20日最後に入居の町民に引き渡された。カギ渡しを受ける人はいつも同じ人。職員の震災で課長クラスが突然の殉職で、その部下や町関係施設の職員が、町職員として今の町の中枢となり行政運営にあたっている。多くの経験の元に各課のりーダーとしての資質が育成されるが、その順番も踏まずに多くの部下を持つ。町づくりの中心となる人材の不足を感じる。長期の政権に新鮮さも消えうせ、惰性による町政が続けられている。

昨日雨の中を「南三陸海岸IC」から初めての三陸道を通過した。3Kの道のり「あっ」と言う間の時間だった。便利も良いが町の「ストロー現象」での町のマイナスは、三陸道開通でプラスとはなるのだろうか。人は「ポジティブに生きないと」と言われた。果たして町には観光客は来るのだろうか、便利になり過ぎて子供達は主都圏域で暮らし、盆・正月しか来ない、こんな町に既になってしまった。こないだも叔父の仙台で暮らす供が「孫」と一緒に家に来た。いざと言う時に子供達と一緒に居られない事は寂し過ぎる。

震災から2・3年後に、町の石屋さんが、志津川町内のお寺さん全てに震災の慰霊碑を建立し、私の元気な内にと寄贈した。この社長さんの行動に私は感銘を受け、私も同等の事をしたいと思っている。春彼岸に墓参りに行ったら、今度は水酌み場に屋根が建設されていた。誰かが雨の日の為にと贈ったのだろう。こんな人々が町の為にと自分の気持ちと表している。潤沢な資金が無い人こそ、慈愛・共働の気持ちを持ち、先祖への感謝を決して忘れない。

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今日は自宅を9時に発ち、12時44分の新幹線で東京に行く。午後3時30分の集まりに参加してくる。帰りは東京を午後8時16分発でたち、21時47分に仙台に着く。東口のヨドバシカメラの駐車場から、2時間で自宅に帰る予定だ。東京はこんなにも近くなっていた。お土産は「春日」で「萩の月」を10個買い求める。
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