2017
02/26

被災地「亘理荒浜」探訪

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東日本大震災で全てを無くし、その年の7月には町内の戸倉地区で仮の事務所を建て仮再建し、3年前に工場・自宅を志津川商工団地内に再建した。
南三陸町内の事業所は450前後あった物が、震災後に200余りとなり、震災から5年が経ち、震災特需の新しい事業所が50ぐらい誕生した。そして、6年目を迎える今、震災時の厳しい経営にどんどん近づいている気がする。新しい印刷業の「カラー化」の中で、昔ながらの事業設備再建が、会社の再建では限界の再建と思い、今に至っている。

暇を良い事に一昨日にビデオで見た、亘理町に現在の状況を自分の目で確認しに行って来た。三陸道を利用して「津山IC」から乗り、亘理荒浜まで1時間50分で到着した。津波到達地区に「災害復興住宅」が3棟建設されていた。

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散策に行った理由に亘理町はどうな形で住民が再建し、行政や組合・商店などが生活再生に、どう取り組んでいるのかを見に行った。
亘理と言ったら「ホッキ弁当」が頭に上る。亘理ICから町内に入ると平坦な農地と住宅街が続く、荒浜地区に向かう道路脇の電柱に「津波到達表示」があった。海岸から2Kはあるだろうか、1m前後だった気がする。荒浜海岸には以前のままに家が建っていたが、住宅再建が全てでない気がする。津波は何mだったかネットで調べたが見つけられなかった。死者は「306人」と町のHPには掲載され、発見された遺体は257人と言う。
荒浜海岸に宮城県漁協南支所があり、隣接し「きずなポートわたり」があった。漁業・農業の産品が一同に会する産直で、「亘理のいちご」が販売され、加工品も多数販売されていた。ホッキ貝・カレイ・若布など海産品が沢山販売されていた。地元の加工品は各種に及び、農漁業が一体となり漁協の「鳥の海ふれあい市場」として、観光客や地元の住民の買い物の場として活用され、賑わっていた。
その隣には「荒浜賑わい回廊商店」があった。土曜日というのに6店舗には人影がなかった。ふれあい市場には地元の住民の皆さんが半数わ数え、私たちのような観光客が混じるといった感じだった。地元民がいかない「市場」「商店街」でなくては、町の発展とはならないと私は常々思っている。
もう一つの賑わいの場所は「亘理温泉・鳥の海」だった。太平洋に面しながら内湾が「鳥の海」で、海からは50mも離れてない所に、4階建ての温泉施設があった。「津波被害?」は判らないが、多くのお客さんが土曜日に訪れていた。

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「亘理の復興は一番遅い。」と来社した人は言っていた。津波の波高は3m前後とこの状況から判断する。漁港周辺には何もなかったように、住宅が建ち並び、基礎だけの空き地も点在していた。海岸から近くに「荒浜中学校」があり再建されたのか、高床式の校舎だった。少し内陸の「荒浜小学校」は以前のままであった。

我が町の津波は16mで最高の入り江で24mにも達する。平地の多い亘理町は市街地と農地を内陸へと津波が遡上したせいで、津波が増幅する事なく勢いが収まる所まで進んだ。人命も建物被害も最小限だったと思う。自治体の持つ地形と住民の集中形体で、その被害に大きな被害の差となったと検証する。

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未だに仮設に住んでいるのは高齢者が多く、津波の怖さが脳裏から消えないのだろう。震災4年目の三棟の災害公営の半分の入居は、その原因による物と思う。漁業に生活の糧を求める住民は、これまでの場所に残った。津波の大小の差が住民の生活環境に関連している。代々続く漁業を守る為にこれまでの地で生活を続ける選択をした。以前の報道に「亘理のいちご農家が北海道へ移住」があった。しかし、「亘理のいちご」は健在だった。

荒浜の名物「ホッキ弁当」はまた後にしたい。







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