2017
02/14

南三陸町の町散歩(2)


南三陸町の志津川地区と歌津地区の観光拠点の、「さんさん商店街」と「ハマーレ歌津」の、「町開」に向け志津川が3月3日と、歌津が4月末ごろを目指して工事が加速している。志津川が23店舗と歌津地区が8店舗の出店と聴いているが、被災地支援や観光客の受け入れを考えると、町には一同に会した「ショッピング施設」は必要だろう。

町には住宅再建が進み、商店街から離脱して「自分の住まいで経営をしたい」との考えが商店主にある。しかし、バラバラに散ったお得意さんが来てくれるかと言うと、経営の安定には時間が掛かり、町が落ち着きを見せるまでは、再建から3~5年以上が必要な気がする。
IMG_2103.jpg
「町づくり協議会」の一員として、議論に関わって来たが、会員が提案した事は現実には出来ない事が多かった。それは理想と現実の違いだろうが、町計画に無い生活に密着した提案が難しい事ながら、そこには多くの町民ファーストの考えがある気がする。町民の代表者の選択には、行政を指示する会員が先頭に立ち、行政の提案を100%取り入れた物となっていた。議論が意味の無い事と感じるようになっていた。まだまだこうした事が今も繰り替えされている。

大震災から6年を前に、亡くなられた遺族の方の「七回忌法要」が執り行われている。私の親戚も早々昨年末には済ませている。本浜町の同級生の兄が来社し、奥様を亡くされた話に、残された子供達の頑張る姿を聴いた。しかし、子ども達は安定した生活を求め、登米市に既に住居を構えていた。私の知る建設業の方も、浜の近くにあった会社と自宅は全て流失し、翌年には登米市での会社と自宅を再建していた。事業所や住民の流出は町から沢山の仕事を奪っていた。仕事も行政に依存する姿はそこから来ている。

事業所の町からの移転は、税収や雇用の場を無くしてしまっている。雇用のミスマッチと言うが、仕事が水産業の厳しい作業しかなく、地元の若者は自分の求める仕事を探しに町を離れる。従業員不足は外国の就労者の受け入れへと、町の事業者の支援と事業への補助へと増加している。これでは若者達が残る事の無い「消滅都市」へとまっしぐらだ。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:31 】

COMMENT
POST A COMMENT


















 TOP