2017
02/13

親水はできない新井田川になっていた


大震災でも壊れなかった「曙橋」、何度も新井田川の風景を残そうと、橋のたともから自動開閉式水門や、家族の死を受け入れなかった建物と、懐かしい昔の川に親しんだ生活を想い起こしていた。

私の考える親水の「水に親しむ」は、海を通して自然の生き物に触れ、その生き物は安全か危険な物なのかを肌で、実践して体への被害で「痛い」「怖い」「大変」など、自然の生き物は自分が生存して行く為に、身を守る事で加害者に害をあたえている。こんな事を海の生物から学んだ。クラゲ・エラコ・ウニがあり、アナゴなどの獰猛な魚には、生きる為に噛みつかれ血を流し学んだ。
「危ない事はさせない。」「危険な所には行かせない。」など、幼少時の今の自然からの学習は、真の怖さから避けている。南三陸町の水産の町ながら、海に親しむ最大の「海水浴」など、海が怖い・波が怖いと言い、親たちもプールでのスイミングで、水泳記録会でのプールでの成績ばかりに重きを置いている。「我は海の子……」と言った、過去の海の子供達は居なくなり、自然活用センターなど、見て触れてと言いつつ、本当の海の怖さを知らない日本の子供達が増加し、水産業の後継者など育つのは南三陸町には無いようだ。これで町の発展の基礎を造った産業は、衰退の一途だろう。
日曜日に石巻の若者の牡蠣団体が、自慢の牡蠣の水産業の復興と、生産の振興や販売の販路開拓に、若者達20名が「フッシャマンズ……?」と、後継が海で生きる事を選択した。海の水産業の厳しさを軽んじる、我が町の行政と商人は、漁民の生活向上には真剣に付き合っていない気がしてならない。
10mの市街地の商店と、新しい商店街にも水産業に関わる人達を、商店主道ではなく若い水産業の担い手が、南三陸町の水産業の素晴らしさを発信して欲しい。歌津地区はこうした活動が顕著に表しているように感じる。
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田老町の防潮堤は「9m」だったが、万里の津波防潮堤は、町を襲った津波は堤防を越え、すり鉢の町を覆い尽くした。我が町は10mの嵩上げの元で、河川堤防は「8.7m」で町の川に整備し、海抜8.7mの内陸地点まで連ねる。津波の脅威を知らない国交省の「机上の理論」の元に、津波防災体制を築いている。10年後50年後に同等の津波で、多額の国費を使った町づくりの欠点が露呈する。

多くの考えられる防災の不備を補う為にも、「避難道」を幾重にも整備する必要性を感じる。「奥尻島」「串本町」などがあり、100年以上? も津波を経験していない串本町でさえ、多くの避難道と防災体制は高台の消防本部を建設し、住宅の移転も高台へと予算を計上していた。砂州で町は繋がっているものの、海岸を二つに分けてある「砂州」は、津波で流失してしまう予想を町は立てて、津波防災対策に既に取り組んでいる。
こうした全国の取り組みを議会が調査しても、その津波対策を構築する行政に、自然災害を理解する、町民の暮らしを守る根本的な事に欠けている、国県と行政の津波防災には多くの「穴」を感じている。
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南三陸町の新しい町づくりに「凄い復興」と驚くのではなく、東日本大震災の津波の恐ろしさは「凄い」と、感じさせる町の在り方に転換すべきと私は思っている。何時までも人の欲による「町づくり」では、本当の南三陸町の志津川地区と歌津地区を自然の素晴らしさを味わう事はできない。

昨日は南三陸町を歩き、昔の町の素晴らしさを再確認し、またいっぱい良き町を想い起こす事ができた。
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