2017
02/04

南三陸町慰霊碑巡礼


歌津地区での七回忌の法要が開催された日に、三つの場所に亡くなられた方達を刻んだ慰霊碑に手を合わせて来た。

最初は歌津舘浜の「津龍院」さまの、震災後に建立された物で、菩提寺の檀家の津波死亡者の名前を刻んだ慰霊碑です。気仙沼の在住の方もあり、その人数に驚かされた。慰霊碑の前に立ちあの日の事を思い出す。どす黒い津波が全ての物を巻き込み、海から陸地へと走った。建物・船があり人間などは一たまりも無かったが、その命の儚さで多くの家庭が、地獄のどん底に突き落とされた。
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次は伊里前地区の高台「鎮魂の森」に建立された、歌津地区の総ての犠牲者を刻んだ「慰霊碑」は、高台から市街地と歌津の青い海を見下ろす場所にあった。「あつみ」がいて剣道大好きな「ありさ」さん、大きな夢を持っていた「つばさ」さんも居る。そして、歌津地区の基礎を築いた高齢の方と、町の職員が多く犠牲になり、ここに来れば皆さんに会える気持ちになるから不思議だ。

歌津地区から唯一志津川地区で亡くなれた方の名を刻んでいる、志津川細浦地区の「徳性寺」の慰霊碑にも手を合わせて来た。この慰霊碑は昨年亡くなられた、松本石屋の社長さんが、「東日本大震災の記憶を後世に残そうと、碑の建立を町内各所の寺院に自費で建立した。社長の意思が将来に、「津波でこんなにも沢山の町民が死亡したと言う現実を風化しないよう語り継ぐ慰霊碑」となる。

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私の年上の友達の母も「慈恵園」で、この震災で亡くなっていた。車イスで避難はしたものの、施設から津波で車イスごと流されたと言う。復興住宅には小さなテーブルに遺影と位牌が置かれ、手を合わさせてもらった。人知れが震災の町では亡くなっている方や、震災で死亡した友や知人も知らないままで、多くの町民が今の現実を必死に生きている。

震災復興と住民再建だけて良いのか? 多くの町民の死を形に表し、名を残す活動を私は今後していきたい。2歳3歳の幼児のままで亡くなった、子供達が余りにも可哀そうだ。


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