2017
01/24

ネットで世界に繋がっている感覚を味わえる

29.1.24ブログ
年明けてから震災後の交流の輪がまた一つ広がった。突然の東大阪の友からのFAXがあった。「この方判りますか?」だった。私の父の友人の息子さんで、シンガポールで働いている事を知るだけで、話もした事が無く、顔も一度も見たことが無い方です。と答える。私のブログで「今ふるさとはどうなっているか。」「どんな支援の方がきているのか?」など、私の発信の愛好者でもある事以外は何も知らない。
昨年は私のブログから長野の友達とも繋がり、今年は大阪の友とも繋がった。ふるさとへの多くの支援に対して、外地のお土産を送ってくれたと言う。何の見返りもなく、住所・電話も無いままに、私に「どんな方ですか?」と、その度に知る限りの事を伝える。私は被災地「南三陸町への支援の輪」をこんな事から感じ取る。

フェイスブックでもなかなか会えない、今は無き行政区の先輩とも繋がっている。互いの父親が同級生で、94歳の同級生もあいついで逝去され、まだ同級生が残っている事に喜びを感じている。
ツイッターでは全国の「つぶやき」を、リツィートし情報を交換している。自分の事・会社・自治体など、自分の活動や自治体の様々な取り組みを全国へ発信している。見る限り岩手・宮城が主ながら、何処かで繋がっているとの思いが募る。
会社のホームページを今編集中だ。昨年の7月~12月までの半年の、南三陸町の3か月遅れの4月から9月の町の歩み、町の復興や人の活動、そして私の係った被災地支援活動を伝えている。今月中には「南三陸マイタウン情報」を、ネットを通して配信し、その情報誌をパソコンからプリントアウトして見られる。毎月の第二日曜の発行も来月で「第60号」を迎える。震災の年の7月からの情報発信も、後何か月・何年できるのかと思っている。HRへは「南三陸町千葉印刷」で検索すると、容易く入れる。

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志津川市街地の巨大な町づくり事業で、今月も大きな道路変更が、「仮」から「本設」に近い復旧となる。被災市街地の中央を抜け海岸に通じる道路が、1月の31日に仮開通する。志津川の3つの高台を結ぶ連絡道路も、慢性化している交通渋滞への緩和策として、新井田地区から中央区・小学校の裏を通り、中学校の前から国道398号へと、一時的に一部ながら開通する。子ども達の今後は通学路として活用される。少しは被災地の子供達の体力低下も改善されそうだ。

いつものブログでの挨拶ながら、朝起き、一番に写真のパソコンと向き合っている。「ボケ防止」「文書力」「早起き励行」など、多くの要素が私のブログ発信にはあり、自分の為に頑張っている。それが一人でも多くの人の為になっているなら本望です。もう10年にもなり、別な意味で「病気」なのかもしれない。
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