2017
01/09

南三陸町は創生期なの?


先週の土曜日に天気予報を確認し、「晴天」を見て午前6時30分にサンオーレ袖浜のはまゆり大橋から、志津川湾の洋上を見ると、やっぱり水平線上には厚い雲があった。私にとっての2017年の「初日」をデータとして心に留めた。湾を往来する漁船の姿を見つけ、漁師は既に仕事を始めていた。若布収穫があり、カキやカゴ漁、刺し網など色々な漁に漁民は寒い中でも仕事をする。この寒さが美味しい魚介類を育て各地に発送される。
歌津地区の青年部が、うに養殖と言う新たな漁業に取り組んでいる、こんな新年の新聞報道があった。収入の拡大だけでなく、「磯焼け」と言う漁業環境への対策と販売拡大の活動している。町にとって「キラキラ丼」の販売盛況は、地元産のうにの確保が重要だ。若者たちの活動は将来に繋げようとしているのに、行政は町の復興を理由に、自分たちの活動しやすい設備の整備と、委託事業を積極的に図っている。職員の削減や施設運営の経費削減など、楽な行政の仕事を目指している。町の600万以上の高所得の半数が、公務員だと私は思っている。公務員の採用にも「ブラックボックス」となっていると、町民はつぶやく。ちなみに私の所得は213万で、扶養控除があり、低所得で町県民税の2期分のカップが、とうとう来なかった。
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年明けに突然の韓国人の方が来た。印刷物の相談ながら、定住し1年と言う。震災の時に南三陸町に来て、本腰で漁業支援や高齢者支援をしたいと言う。奥さんと3人の子供と共に志津川のアパートで袖浜地区の「志津川の民宿の発症の地」も大きく変わった。建物があるようだが、民宿の場所は漁業の作業小屋に変わり、民宿は以前の2割? 現在は2軒がこの地区で民宿を営業しているだけだ。

暮らしている。こうした移転定住者を行政は活用すべきと私は感じた。水産観光課に行って「何ができるか。」「生活支援はないか?」など、相談しては? と話した。何かあったら私も支援を受け、その代償を支払いたいと思う。「インバウンド」を被災地も描き観光に力を入れる。台湾からの観光客は県内の気仙沼圏域に1割と言う。我が町も台湾との相互乗り入れ観光をしている。私も生きてる内に一度は台湾観光をしてみたい。
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国道398号の新しい橋が出来た。河川堤防の法面もコンクリートでの整備が進む。震災前から「震災対策」を行政が取り組まない事が不思議で、被災地への「復興交付金」で国から多額の資金が来て巨大整備が実施されている。河川堤防の8.7mの整備は、思いも寄らぬ災害地域の拡大を懸念する。志津川地区の3河川は大津波で到達地点を把握する事となったが、地形が変わった事で被害がなかった場所への襲来がある。岩泉町の台風災害も、これまで被害が無かった場所に、洪水が押し寄せ福祉施設の高齢生活者が死亡した。「ここまで津波は来ない!」、こんな概念は災害には通用しない。

何もしないで2連休を過ごしたが、「愛の福袋」活動の代表から、東京でのパーティーの案内の言葉を貰った。長野県飯島町の竹澤さんから町の物産が届いた。私からは「真ダコ」「アワビつぶ」を送ろうと思う。大阪の印刷支部「東大阪」からは新年会の「祝詞」の依頼も来た。支援者の繋がりが昨日から今年も始まった。
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