2017
01/05

絵に書いた餅?


新しい南三陸町の姿を描いた志津川地区の構想図です。
みんなでつくる町は美し過ぎる感を持った。商店街の前に設置された看板と事務所だった。志津川の商店街の隆盛は震災の1~2年で、5年目を迎える頃には来町者(支援者)は10分の1となった。その姿を何時までも追う事は、ここを永住の場と決めた「町民にとって、どうだろう?」と考える自分が居る。
多くの町民の中には私を支えてくれた方々があり、先輩たちと後輩も多いが、年末に登米市に住む事を決めた友達の、突然の決定の裏には家族の健康を考えた上での決定だった。

28年度末で5年目を迎えた、中小基盤機構の制度による「仮設商店街」はさんさん商店街として、多くの来町者や地元住民・穿設関係者の、食事と買い物の場として重宝された。オープン時には想定以上の訪問者の中で、店主も何回か変わってここまで栄えてきた。店舗は35店前後から、今年の3月3日に嵩上げの場所に、ニューオープンする。28店と予想の店舗から大分減少している。町民外の入居者も意外と多いと聴く。

昨日は広島から「また南三陸町へ…」との嬉しい話しを聴き、長野からは海外で活躍の南三陸町出身の方から、今年も年賀とお菓子が届きました。と連絡が来た。また、別な繋がりが生まれていた。「南三陸町のタコ美味しいですね。」と年末のお歳暮に感激してくれた。だけど「志津川の真ダコ」だからですよね、と話すと、やっぱり真ダコ美味しいですよね! と返ってきた。

私の小さな支援が町の為になっていた事の確認ができた。
町づくりの観光客への仮設商店街の前の告知板と事務所は昨年末に閉鎖となった。看板だけが残るだけとなった。
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