2017
01/04

志津川中央区の雛壇


震災から2年半後に「志津川地区まちづくり会議」で、志津川地区の高台移転地区の在り方について話し合った事を思い出す。当初は真剣に議論を重ねてはいたが、どうしても行政や整備を委託されたUR都市機構の計画に順ずる結果となった気がする。
中央区の中央をメイン道路が整備され、その両脇には商店街が並ぶ、こんな計画への議論は電圧や土地の広さなど、住民の公正や公平が原点にあり、生活者の商店への意向環境を求めには、厳しい高台整備となった。この形成はどこにあるのか、今後の家が建ち生活が始まってそれが初めて見えてくる。志津川字南町の「そば処・京極」も中央区で、新しい商売を始めると、さんさん商店街のチラシに掲載紹介していた。
予定通りの雛壇でも住宅街の整備は、新井田遺跡の調査後の土地の整地があり、大工事となり志津川地区で最後の整備が、向かって右側に昨年末完成となった。今の所何も問題は内容だが、ここを選んだ住民が生活して初めて、生活しにくいマイナスの部分が出てくるだろう。しかし、住民は生活の工夫により生活するしかない。

今日から仕事始めである。
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