2017
01/02

志津川市街地の高台から


私の新年の行事に志津川の高台団地と市街地の探訪があり、その変化と進捗の確認に動いている。一番は故郷の変化を伝える事と、自分の目で変化を脳裏に刻みたいがある。
何時まで生きられるか判らないし、している事に何の意味があるのかと、今朝考えさせられた。待っている「年金生活」に、どう対処して行けるかとの思いで複雑な気持ちになった。

最初に中央区に行く。残っていた造成地も作年末までに完成し、今後地権者に引き渡され住宅建設に進む。中央区特有の雛壇の土地形態は、道路に何か丸い物を落したら、下まで転げ落ちる土地形を心配する住民もある。だがここまで集合住宅・戸建の建設が進み、年度内の総ての完成に向かい整備が行われていた。

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次に志津川小学校の仮設前から志津川地区の復興観光拠点を望んだ。「さんさん商店街」の新しい施設の整備も年を越してしまった。3月3日の「まち開き」に間に合うだろうか。悲劇の防災庁舎の鉄骨は観光客を集める遺構となり、志津川町を救う物して、町は整備を進める。何も無くなった志津川の市街地がここにある。6年目を迎えようとしているのに何もできていない。町民の営みの息使いは感じられない。無機質の町が広がっているように感じる。

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三カ所目は志津川中学校の高台から、震災で有名になった2017年元旦の風景を撮影した。「やっぱり生活環は無い」、赤土とコンクリートの景色だけが目に飛び込んでくる。小高い場所の津波が襲来した場所にも家があるが、決して住宅ではなく、商店地・店舗としての位置づけの元に家が建っている。防災庁舎周辺は「復興記念公園」として再生される。後は巨大な農地として復活するが、耕作者は居るのだろうかう。巨大な農地は組合会社組織の運営としてしか、活用する手段は無い気がする。

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最後に志津川高校裏の西工区に行く。親戚が住宅建設を両親の為にと進めていた。入口の20軒余りの土地は全てに家が建ち、やはり土地の整備・引き渡しは公平・公正とはいかないようだ。土地引き渡しと同時に住宅建設へと進める地権者も多いが、町内総ての土地に付いて、この6年間の月日は、建設への意向を大きく変える事となった人も多い。個々の生活内容と家庭環境からその方向性を決定する。正に究極の選択が繰り広げられている。

年度内の災害公営住宅と戸建の、入居を済ませるよう行政は計画する。是非それが叶う事を願うばかりだ。私の親戚・知人の多くも震災6年目の住宅の確保となる。
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