2016
12/12

歌津上沢より友がお米を持ってきた


身体が言う事を聞かなくなっていた。運動不足がここにあり、生活習慣病の最中にあり、少しずつ体が衰弱していた。
ご飯炊きと掃除とゴミ投げが父の仕事で、こないだはゴミ置き場までの300歩の途中で、「また歩けなくなった」と言う。しばらくはその場で座っていた。94歳となり身体中の異変が出ていた。

こないだ突然に「米食べて!」と先輩が来社した。近所の方が亡くなったので、今日は休みましたと話す。93歳と父と同じ年、天寿を全うされた方の焼香に行く。最近も「逝去の連鎖」が南三陸町で続いている。

同級生の兄が60歳半ばで突然亡くなっていた。「私は大丈夫!」と言う過信があった。ひどくなるまで我慢する。こんな同じ世代の自分の健康の考え方がある。地域での先導者として震災後も活動していた。震災前は消防署員として町の防災を担っていた。
家族は「最後まで医療を尽くして上げたい!」が想いながら、それができない南三陸町の現状が有る。私の後輩も「余命半年」と診断され6か月後に亡くなった。地元で最高の医療を望む家族は当然で、我が町の中核医療が「石巻日赤病院」であり、紹介状を訴えたが直ぐには叶わなかった。
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私も佐藤徹内科で糖尿病の目を診て貰い、登米市の三浦眼科に、そこから網膜剥離の診断で石巻日赤に紹介状を書いてもらった。日赤で2回の手術を受け、かんばしくなく東北大学の先生が手術をして、設備の整っている仙台の病院へと言われ、東北大で眼下の名医に手術をして頂き、今の状態になり何とか普通の生活が出来ている。
自分の身体は、自分の思うような医療を受けたい。この強い考えの元で医師を選択する。登米市の笹原先生からは、甲状腺のガンを見て貰い仙台市立病院の県内の甲状腺科のトップの高谷先生を紹介された。素晴らしい先生たちの御蔭で、多くの身体の異常を克服できた。
ある先輩に昔、「医師は自分で選びなさい、納得いかなかったら先生を替えなさい。だって自分の身体なんだから。」と言われ、それを今も実践している。
その考えの元で母も自分の思うように、老人ホームで納得できる介護を受け、父と二人で最後まで看取る事ができた。死んでしまってはどうにもならないから、自分の周囲の意見と指導により、家族の為に最後まで尽くして上げたいがあるのに、そうならない家族の悲しみは辛い。原因が判った時は「余命1か月」だったと、人のうわさで聞いた。家族には限界がある。

今日も色々だ。
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