2016
12/06

100年に一度の津波防災


こないだ「昭和の南海地震」での四国高知を襲った津波が22mで、甚大な被害が発生した。とテレビで放送していた。そして現在「3.11」から、日本国民の津波防災への意識が高まっている。
南三陸町を襲った津波も最大「23m」となり、沿岸の市街地や集落は地域によって津波の高さは違えど、総てが流失してしまった。大波は明治・大正・昭和と葯100年に一度の割合で発生し、震源地の場所と襲来した場所により、津波の大きさも全部変わり、津波防災の難しさがある。
町内を走る国道は2本あり、だいたいが「8.7m」の高さの再建を目指している。戸倉地区の津波防災の姿が町の浜を守る形で、防潮堤と国道が一体となり津波襲来への対策が講じられている。国道と防潮堤を一帯がする事で復興資金の削減になる。しかし、町内には津波の達しない道路はそのままで、その前に防潮堤の8.7mを建設する場所がある。こうした建設現場を見ると、政府の「国民の血税」の無駄遣いと感じている。
写真は戸倉地区で波伝谷から水戸辺に向かう道路で、波伝谷地区は全ての家々が流失し、戸倉団地とまやま団地に別れて住民が高台移転をした。漁民も多く「仕事場が近くに欲しい」などにより、住宅再建場所を考えている。
IMG_0611.jpg
対岸に見えるのは志津川市街地で、市街地はもう無い! 以前あった
5m程のチリ津波の対応した防潮堤が小さく見える。これから想像しても今回の道路と防潮堤を併用した復旧が、望ましい。多くの3.11で被災した海岸線に整備されれば、大きな震災復旧費が削られると私は思う。

多くの先人の営みが土の下に消えた。自然の驚異に追われ人間は内陸へと追いやられる。しかし、津波の脅威も忘れ、また、人間は海岸へと生活の場所を移動する。これがこれまで繰り返された、人間の営みの根底にある。
南三陸町の「職住分離」は、この流れから大きな変換となった。もう、低地には戻れない。高台に「終の棲家」を建設したからだ。将来、未来には「これで良かった!」と思う日が必ず来る。鋭い痛み、苦しく悲しい、こんな経験が大きな変換へと向かわせた。
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