2016
11/15

町の将来を懸念する町民が登米市には多い


「町には商店が少くない」「働く場がない」「高速は過疎化を加速する」など、本気で町の将来を心配する町民が沢山ある。昨日も「町での商店再建は諦めまいた?」とこんな話となった。

68年ぶりに地球に月が接近する「スーパームーン」、大きさは1.3倍に見え、明るさも同等だと言う。また18年後に見られる。だが、それまで私は生きているだろうか。会社は存続しているだろうか?
その時は希望は燃え尽きている事だろう。

「徘徊運転」と言う言葉がクローズアップされている。小学生の通学の列に87歳の軽トラックが突っ込んだ。一人が亡くなり6人が怪我をした。「何処を走ってきたか覚えてない!」と言い、男性は検査入院となり、日本に於いての高齢化の社会問題が、交通事情にも弊害が現れていた。徘徊は震災前の近所のおばあさんが、「こんなに遠くまで」と歩いていた事があり、家族に連絡を入れた事を思い出す。今から20年前には既に「徘徊」は問題となっていた。
今回は「動く凶器」と言われる、暴走すると大事故に繋がる自動車に乗っての徘徊で、毎日のように「ブレーキとアクセルの踏みま違い!」と報道は、高齢者の事故を伝える。認知症との関係もあり、若年化への二つの問題がある。医師は「病気ではないと言う」が、しかし、この問題は病気として取り扱う時期にきている。
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大衡村の村長の長期体制が、モラハラ・セクハラ・パワハラの要因となっていた。ワンマン強権体制が、職員に威圧的権限の行使へと繋がっていた。被害を受けた職員の「公務災害認定」となり、補助が下りた。退職金と公務被害金を得ても、その傷が癒える事は決してない。こんな村長に投票で認め、選挙が無く無投票で選んだ、村民にもその責任の一端はあると思う。「転ばぬ先の杖」を、我が町も考えないといけない時期にきている。福岡市の地盤沈下の対策に取り組む、若き市長40代に期待と希望が見える。
来年9月の町長選・町議選の準備を関係者は、会合と言う飲み会で活動を始めている。そんな事は後回しに、被災者や高齢者の被災地の生活の再建に、もっと気を配る人が必要と思う。我が町は大きく違うようだ。町民の意識改革が必要ながら、こないだの「日本よ永遠なれ」の上映会には、10人が来場しただけで、社会の動きや文化など、意識の向上や町の将来を見据えた学習に、余り興味が町民は無いようだ。歌手の来町は毎回「満員御礼」となり、町民の復興と言うが、高齢者への癒しの提供とはなっているが、町の再建への支援として、もう終了しても良いと私は思う。

明日は一日広島からの支援団体に同行する。今年でひとまず来町は終了とすると言う。活動を維持してくれる方を探している。復興が残り4年余りとなり、計画終了の事を考え、生活をどうするかを自己で考え、切り開く準備をしないといけない。
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