2016
11/11

お別れ会


南三陸町にたった一つの高等学校「志津川高校」があり、昨年創立90年?を迎えた。大震災により生徒数の激減により、中高一貫高ながらその歯止めが効かない。そんな中で地元出身の山内校長が、志高の生徒数減少への取り組みを活発にしている。先ごろは行政と中学校の先生と高校とでの対策会議が初めて持たれた。今年が最後となる山内校長は残された時間を必死に、母校の為に尽くされている。

高校の取り巻く環境は厳しいながら、震災時の生徒の被災者の救助活動が語り継がれている。眼下の老人ホームが津波に襲われ、津波から逃れる為に、80段前後の高台の高校まで、被災者の救出に必死で救援活動をした。訓練が全国で現在展開されている中で、そうした想定も訓練も無く、母校「志津川高校」の後輩たちは町民を守り助ける活動を、実践し成果が全国で語られている。

そして昨日は「志津川高校仮設住宅住民とのお別れ会」が開催された。現在、志津川高校のグランドには町の被災者の「仮設住宅」がある。震災後は51世帯160名が暮らしていると、及川副自治会長が謝辞で語った。今は45世帯が暮らしている。住宅再建と災害公営住宅の建設も終盤となり、今年度内にはグランドの仮設は解体となる予定だ。
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生徒の代表の挨拶では、野球部の練習で仮設の敷地内にボールが飛び込んでも、笑顔で迎えてくれる住民の皆さんの事は忘れない。と語り。仮設生活の住民は「高校生の文化祭・運動会の活動に元気を頂いた。」と、高校仮設の生活を思い出していた。高齢者が多く車イスの方を温かく世話する生徒の姿が、校長の指導の地域民への感謝と敬愛に繋がっている。

私も震災から多くの活動の節目に参加できる事は、復興が着実に進み住民再建が進んでいる証である。震災から丁度5年8か月が経ち、志津川市街地には今も嵩上げの赤土が広がっている。何とか志津川高校の継続は町民の熱意と行動にあり、卒業生も我が子を自分の母校に、町で暮らす皆さんには是非地元に子供を通わせて欲しい。また、学校側も学業やスポーツ活動のレベルを上げ、宮城に「志津川高校あり」を発信して欲しい。少数精鋭も一理あるが、住民も生徒も多くないと活気が生まれない。みんなで町づくりに参加しましょう。個々の意見が町の質を高め、発言は町の疲弊を救ってくれるかも知れない。
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