2016
11/07

震災復興の間で被害の無い地区も変わっていた


志津川地区の水尻川の変化を、これまで長く見つめてきた。水尻橋の架け替えの橋脚、スタンドの位置の道路の設置の立ち退き問題、葬祭場と志津川地区のお寺などの被災地の道路、そして鮭遡上の捕獲網の作業風景があった。カメラでそんな復興の姿を追い続けてきた。しかし、こんなにも強固な護岸はいったい誰の為なのかと、大きな疑問を持ちながら見守っている。
中瀬町から保呂毛地区への仮橋の建設が進み、水尻川の河川堤防の整備で、護岸も強固なものにして建築されていた。保呂毛地区に行く道路は津波でガードレールも、津波来襲の爪痕が今もそのままで残り、グニャグニャに曲がったままで、道路の局部的に津波の浸食が見られ、道路が細くなっていた。
隣接する田んぼの圃場復興は5年半になっても、田んぼが復興し田植えとはなっていなく、友達も高齢者家庭となり田植えはできなくなったと言い、今後は委託での稲作になるだろうと言う。
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水産業の復興も漁船の造船も一段落し、がんばる漁業の国の支援も終わり、漁業の復興の激多忙を終え、仕事が減ったと話す。だがとっくに現状は仕事の収束となっている。
我が町の住民の生活安定は益々厳しくなっている。東浜地区の災害復興住宅の、高齢者の買い物事情は、来年10月にスーパーが出来て、スーパーに巡回バスが停車すると言う。しかし、初乗りで200円の乗車料は大きい。距離は短いが、東地区団地から行く事を考えても、往復は車のガソリン代よりも高くなる。災害公営の入所者の平均年齢が70歳を超える中、高齢化率の上昇は、若者達が町を離れ、核家族化となり両親が子どもに世話を掛けたくないとの思いが、高齢者の孤立化を生んで行く。

今週は、今日は平成の森に議員と住民の懇談会に行き、明日は北海道から里帰りした同級生の接待をし、9日は仙台の病院と兄の家に寄って、志津川地区で生産された新米を、子どもや孫たちに持って行く予定だ。仕事はない。のんびり生きていきたい。
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