2016
11/01

生活しやすく楽しい場所へ 若者たちは


今年も11月に入った。日増しに寒さが増し赤土に覆われた町が、一段と寂しさを増してくる。「生みの苦しみ!」と言うが、こんなに長いと苦しみだけが募るばかりだ。人は寂しく死んで行く。

昨日も以前に旧地区に住んでいた方が亡くなられた。鈴木さんで弟さんも昔に図書館に勤務され、私は可愛いがってもらった。近所に暮らし共に助けあう「共助」と私は思っている。長男も弟の同級生で、二人の年老いた両親を見守っていた。私の歌津の同級生とも親戚筋で、その繋がりは旧志津川を越えている。葬儀には昔懐かしいお世話になった方々が参列されていた。懐かしさの再会は私のこれからの出逢いの喜びでもある。
震災支援も終わりに来ている。私が支援活動を4年間続いた団体の活動も終末期にきている。世界・国内でも多くの地震災害が連続している。何時までも我が町は被災地でもなく、新たな被災地への全国民による支援の活動がある。活動を引き継ぐ人を探している。町内の方でそんな奇特な人は少なく、やれる所まで私が手伝いたいと思っている。
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10月の福島・気仙沼の交流があり、親戚の結婚式や地区の活動・会議など、私用や地区活動の多忙な中で、仕事も今年最高の仕事もこなした。そんな多忙からの脱出で、先週末の土曜日はしばらくぶりで石巻に出掛けた。ハロウィンで大型商業施設は賑わいを見せていた。行きつけの「イタリアン料理」の店には、子供達のハロウィン姿での、お菓子作りのイベントに、子育て環境の充実を感じる。日本の盛り上がり行事をまじかで体感が出来る環境がある。
震災で我が町からだけでなく、周辺の被災地から安全な大都市への、被災者の移動が今も続いている。子供達の事を考え親は、一生に一回の決断で行動をする。子どもの減少は町民の将来の減少であり、その結果を想定できない「復興計画」は失敗である。若い世代を引き留める政策に欠けていた。今更何をしても効果は薄い。

トラブルは隠すのではなく、正直に話す事で良い結果が生まれる。多忙からの工事の簡略化が、大きな問題に発生するが、震災復興の途上の町では建設会社も少なく、その責任の所在は闇の中に消えて行く。人間の道徳は子供達への家庭教育からと私は実践させられ、自分でその意味も把握でき、今も何とか食べていっている。

今日は母の財産の相続を弟に、兄弟が円満に処理をし登記が終わった。その書類を取りに登米市に行く。弟を心配しての父の判断で共有にしたが、これでその縛りもとけ自由に財産の活用ができる。父が築いてきた財産が少しずつ減少して行く。その形に子供達への「次の代へ」の希望がある。3人の孫と6人のひ孫に、千葉家の将来が繋がっていく。

素直な子供達への気持ちで、当たり前に結婚し、普通に子供を授かって欲しい。父の希望だ。それを叶えられず家系も、現代では少なくない。
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