2016
10/27

生きた証


私が東日本大震災や震災後に亡くなられた皆さんの「生きた証」を伝える事を活動の一つにしている。誰も知らないままに、家族が静かに送り出す。これだけで良いのかといつも思う。みんなから忘れられ、語られる事無く亡くなって逝く事は、悲しく寂し過ぎる。亡くなって間の無くは噂になるものの、忘れ去られてしまう事が悲しい。少しでも長く、また再び死者を思い出す事が、個人の供養になる。私の母は多くの方に「生きた証」の生前の看護師だった頃の話しを聞いた。「嬉しい!」の一言に尽きる。

こないだ東大阪市の同業者の皆様も、大川小学校に慰霊の花を納めた。その願いが伝わったのか昨日の裁判で、23人の家族の思いが天に通じた。告訴された「県」「市」は内容を精査し、どうするか考えている。父は子供の「生きた証」が認められたと涙した。
その時の避難の対応は校庭で生徒を避難させ、45分後にこの場から橋のたもとに移動している時に津波が生徒を襲った。74名の生徒が亡くなり先生も殉職したと聞いた。4㎞の河口から津波が川を遡った。大川小学校は避難場所であったし、学校に津波の避難マニアルが無かった。教師が津波襲来の判断ができなかった。などで市は想定外と言う。しかし、今回の裁判で市の広報車が避難を呼びかけ、それを教師が聴いていた。こうした事で津波襲来を教師は予見出来たと、裁判官は判断し今回の結果となった。

74名の生徒が亡くなり23名の遺族が告訴し、勝訴し14億円の支払いとなった。残った41名の遺族はどうなるのだろうか。まだ問題は終わっていない。遺族が求めている物に「当時の真実を知りたい」がある。まだまだ裁判は終わっていない。

大川小学校と戸倉小学校の教師の避難行動を比べてしまう。30分の地震発生後の時間の中で、浦山に生徒を避難させた。津波マニアルでは3階の屋上と指示されていたが、浦山に避難した先生方の「危ないの直感」が100名前後の生徒の命を守った。我が町は地震発生地区であり過去の津波襲来の町である事が、異常な地震発生は想定した避難行動を、それ以上の行動へと向かわせた。行政の「町民の命を守る為」の防災庁舎の居残りも、町長の告訴でその真実と行動を、司法の場で議論して欲しいが家族の願いだろう。
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