2016
10/16

親戚の結婚式


父親は大震災で殉職したが、父の教えは子供に、そして兄弟の家族愛に繋がっていた。町民の為に命を落し、息子の自分の仕事への忠誠心が、親からの学びだった気がする。新郎新婦は被災し宮城の漁民の為に、再建への支援の為に震災後の5年7か月、走り続けた。

勤務先で知り合った花嫁だった。勇気を持っての告白があり、愛を2年余り育みゴールインとなった。お相手は北海道出身ながら、父の仕事で宮城県で育った。南三陸生町まれと、北海道旭川で生まれた二人が、仙台で出会い将来の二人の人生を誓い合った。

人口が減り地元での出会いの厳しさを思う。町外からの女性は家族は、南三陸町は大津波で多くの人が死んだ事を忘れる事は無く、こうした事に将来を描くには、余りにもリスクが大きいと思っている気がする。愛の深さと挑戦意識のある女性が町に来て、ボランティアなどの出逢いから「人生のゴール」を決めている人も多いと聴く。

婚活活動は「継続が力」と、諦めず続ける事が大切で、「南三陸町の花嫁に来て下さい!」との言葉を発信続ける必要性を思う。婚活活動の経費は4月からこれまでで、15万円越えとなったが、南三陸創造の会」の男性の会員の入会があっただけだ。男女の結婚期の高齢化の中で、親戚の子供達も30歳位で結婚となり、可愛い子どもの誕生に家族は喜んでいる。
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父の兄弟たちで地元に残ったのは3人ながら、子度たちの多くは地元ではなく他の所で今暮らしていて、夫婦となり子供達との人生を送っている。地元の30歳を過ぎて結婚に至らず残っている従妹は、離婚も含めると3人がまだ独身だ。まだ少ないほうかも知れない。

2時間越えの結婚式は、仙台のホテルだったが、時間の短さを感じた。フランス料理と多くの美味しいお酒に酔った為だろう。職場の上司は新郎の雄姿を讃え、夫の死に直面しながら母の生きざまを伝えた。被災した漁民の為に新郎新婦が、宮城の漁民・漁業の為に日夜奔走した事を出席者に話し、沿岸の漁協支所からは多くの祝電が届いた。
仙台のホテルは我が町のホテルとは違い、新たな披露宴を演出してくれた。シェフ6人が牛肉の料理のパフォーマンスに会場が見入り、新郎の友だちが二人の為に弾き語りの歌を披露した。映像での二人のプロフィールや、出生から現在までや、二人の結婚までの映像は会場を沸かせた。

私は震災後は結婚式への友達たちの招待は無くなったが、子ども達は両親の手を離れ独り立ちしている。「父の友人」「母の友人」の招待は死語になっていて、両家同志の近親者での結婚披露が主体となっている。これ場被災地の結婚事情でする。婚活イベント開催者には「100万円」の町の支援金助成がある。気仙沼市の活動と我が町の「結婚問題対策」が違い、人任せの行政運営が益々多くなっている。その他の公的施設・町の財産の外部委託が進んでいる。
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