2016
10/07

生きるって素晴らしい


今月の広報に同級生の母の「百寿」の祝いにあたり、行政から50万円の祝い金が贈られた。以前は100万円だったが、家庭にとっては介護や看護などそれ以上の、長生きをさせる為の努力がある事を知ってもらいたい。河口から70mで川から50Mの所の自宅から、津波を逃れ今を生きている。津波による死亡者の8割以上70歳以上の町民だった。私の父も94歳で、あと5年間は生かさせたい。町が変わった姿を見せたいからだ。昨日は父の知人が、歌津・戸倉と震災後の今の風景を見せてくれた。「変わったなー」と。

国会が始まり、衆議院が質問を終え、昨日から参議院に移った。稲田防衛大臣の国会答弁での涙があった。靖国神社への参拝を続けていたが、防衛大臣としてアフリカへの公務があり、その時期と重なった為ながら、その涙の真意は解らない。稲田氏の政調会長の時の凛とした答弁は消え、毎日のように週刊誌の指摘の政治資金や、核の保有を容認する意見への質問があった。「日本愛」が彼女の中にあり、日本を守る責任が靖国や核保有の発言に繋がっている。今日も同様の質問が稲田防衛大臣に浴びせられるだろう。

先月の台風10号の久慈市の商店街の被害で、106店の内12%にあたる一割が「廃業」をする方向で、生活再建をしている。我が町も大震災の津波による商店の減少は、5割にも及んだ。現実的には被災前から家業の後継者がいない事と、町の人口減少などの経営不振もらあったからだ。日本は今後どうなるのだろうか。
昨日来た先輩は、「私たちの事よりも将来を生きる若者たちの事を考えたい!」と、過分の豊かな生活は望まないと言っていた。同感である!
10.6ブログ

気仙沼市の本吉町内にあるお寺の境内に、「伝碑」が建立され、2011.3.11と巨大津波到達地点と記され、「潮見地蔵」と津波で死亡し不明となった、総ての地区の人たちの名前が、当然の事のように刻まれていた。
この地区には、生協と全優石の震災ブロジェントの、モニュメントが地域を見渡せる高台にも、震災から1年前後には建立された。

昨日の南三陸町復興祈念公園の死亡者・不明者の慰霊として、震災の記憶と風化防止への願いがあり、追悼の名前を刻む事の、家族の願いは公園には残さないと言う。どこか違う町の被災者への哀悼の気持ちの表現の違いを感じる。
慰霊の丘(モニュメント)は神割崎の方向に軸が向いている。また、死亡・不明者は名簿に記載し、桐の箱に入れられモニュメントの中に収められる。
歌津「津龍院」にも追悼名簿碑があり、歌津駅裏にも「鎮魂碑」が名簿碑と共にある。共に碑に死亡した人たちの名前が刻まれている。なぜ、多くの人達から慰霊碑建立の義援金を貰っているのなら、東日本大震災で亡くなった方々の名前を、慰霊碑に刻む事を町はしないのだろうか、南三陸町に住み、亡くなった家族の生きた証を碑に刻む事で、何時でも亡くなった家族に会えると言う、安堵感を得られると私は思う。
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