2016
10/06

こんなの見つけました


昨日は父の「ペースメーカー」の定期検査で石巻の日赤病院へ行った。駐車場にあった仮設は取り壊され、広い駐車場になっていた。病院との中間には写真のような「像」があった。日赤病院の原点を表しているのだろう。医師の在り方と患者の診察への感謝がある。水曜は日赤眼科の手術の日、午前10時半と言うのに患者の待合室には3人しかいなかった。懐かしいが私は以前の眼科の、登米市みうら眼科に変えてもらい、一昨日前は新聞用と運転用の二つのメガネの処方箋を作ってもらった。目の安定が6か月となり、今後の為に作る事とした。

昨夕、以前の地区の住民の新築移転があり、お祝いに行ってみたがいなかった。漁民の方は日々変則な生活で頑張っているのだろう。父の94歳の同級生も、息子さんが町に帰り家を建てると聞いた、同級生が次々と亡くなって逝く現実に、少しの寂しさを口にするようになった。
高台の東地区の西工区に、以前は看護師宿舎ができ、昨日は二階建ての医師宿舎が穿設中だった。行政がここまでしないと、看護師・医師の招聘ができないのか。病院も、その職員の駐車場も広すぎで、福祉協議会・総合ケアセンターも広すぎではないだろうか。行政庁舎も40年後に人口9千人となる町に、住民サービスとしての大型の公的施設は必要だろうか。疑問ばかりが沸いてくる。
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昨日の夜は「南三陸町復興祈念公園説明会」が、設計者の奈良大学の宮城氏を迎え、2度目の建設計画が報告された。一回目の住民の希望を取り入れた内容となっていた。町民の要望に沿った形としているが、参加者は24人前後だった。今回の津波で亡くなられた方々の家族の希望を聞き、少しでも亡くなった町民の想いに叶う祈念公園となると良いと願っている。
どうしても観光主体の設計が見受けられ、今回、設置される「築山」は今回のL2の津波にも耐えられるよう、20mの高さとしたと説明する。避難で遅れた人の為の築山に造られた「頂上避難所」、今回の自然の威力の津波から何を学んだのだろう。基本的には志津川高校が記念公園からの津波避難場所として在る。地震から発生する津波防災は、「自助」での行動が一番で、命を守る事となるだろう。
どんな責任を設計責任者はとるのだろう。自然災害は未知の力「想定できなかった」ではもう済まされない。きっと同等の津波は100年の周期から短くなりきっと来る。ある国会議員も天災は、「今日来て、また明日来ても100年に一度」と言う。予測もいない災害に人は無力だからとあきらめず、人命の確保だけは最優先に考える事が、町を守る自治体トップの責任だ。私の町の先輩は言う、「避難路の整備と、う回路の確保が大切」と。先人に学ぶ事の大切さを知ってほしい。
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