2016
10/01

夢と安らぎの嶋  石巻市田代島


町の仕事が大幅に減少し、毎日暇を持て余している。町の事業所が半分となり、これまで築き上げたお得意様も、4割以下まで減り、経営の厳しさは震災復興途上の行政の仕事に依存を深めている。行政トップは2社しかない印刷社の元社長、その利点を勘ぐる私の弱さを感じている。新しい取り組みも「種まき」だけで、仕事への期待は思い通りに行っていない。何かをしないと淘汰される会社が、薄ぼんやり見え始まっている。

現在は自分の人生で求めていた安住の地として、石巻市田代島での二重生活を夢見る。海から復興をと言う「海華復興の会」に首を突っ込み、少しずつその魅力にはまっている。
人口が現在は36人と言う。繁栄した時代は1300人が住んでおり、マグロが定期網で獲れ、遠洋漁業の拠点として漁業会社が沢山あり、島民も多くが漁船に乗り成功している。現在は島を離れて暮らしているが、島から決して土地を売らないと言う。平成元年まで島には小中学校があったが廃校した。
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「猫神社」があり海外から猫の島としてメディアでも取り上げられている。今は人の数より猫が多い。インバウンドを求める国の政策で、こうした観光地のこれからの盛り上がりを、石巻市も考えているが、震災復興が先のようで、島の観光復興の団体として、NPO法人「石巻・田代島しまおこし隊」が参入した。隊長は町起こしを全国で展開する、早稲田大卒の猪狩建雄先生があたる。人間的にも優しい素晴らしい人材である。
嶋の重鎮だった尾形さんがいる。震災では門脇で家が流され妻を亡くした。「石巻焼きそば」を震災後に作り、「海華の会」の会員との出逢いから、今回の活動が始まった。尾形さんは言う、多くの団体が島おこしに来たがお金が尽きて、みんな島を去って行ったと。しまやこし隊への「最後までやって!」と、チクリと叱咤激励と私は取った。尾形さんは昔から島に伝わる「田代島獅子保存会」の会長を務め、島の伝統を継承しようと、島に来る方々と田代島獅子踊の復活を願っている。
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今後は空家利用の宿泊地を造り、レストランや漁業体験、カヤックや子ども達のウッドハウスなど、多くのメニューを準備中だ。私は会員となり特典を得て、のんびりと釣りをしながら猫とひと時を過ごす事を夢見る。ちなみに猫は嫌いである。
猪狩隊長の仲間には、隈氏と同じ建築設計者の堀内先生もいて、インドネシアでの竹づくりの家を紹介し、多くの島おこしのポケットを持っていそうだ。設計会社の社長や造園家の方が居たり、そのスタッフは全国から70名が集まった。その母体の会社は福島出身の造船・レストランなどで、アメリカンドリームを達成し、パラグアイの世界で一番の貧困の国の発展にも務めている。
素晴らしい仲間の一員となり、共に新しい人間達との出会いも、島おこしと自分の人生の究極の到達点がありそうだ。私の愛した志津川は「天国の楽園」とはならない気がする。
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