2016
09/27

本浜町は無くなっても漁港風景は変わらず


昨日の夕方5時に本浜地区にある旧々魚市場に行った。以前の三興石油からの道路が通行止めとなり、本浜市場へは行けなくなった。と思っていたら、「高野会館へ」と看板を運転手が見つけ、指示通りに行って見た。
かさ上げされた志津川市街地の交差点にできたコンビニから、50m走った所に右折道路が出来ていた。八幡川の港橋のたもとに出た、そこは南町で臨時の道路で本浜の市場へ通じていた。

漁民の作業場は存続していたが、以前の防潮堤は既に解体され、南町と本浜の間の陸門が残っていた。今後の震災遺構として残すのだろうか。東日本大震災の痕跡は、町が次々と破壊し震災の痕跡・記録の保存はしているのだろうか心配だ。
灯台側を南防潮堤と言い、本浜側を北防潮堤と言っていた気がする。防潮堤の岸壁には小型漁船が係留され、昔は内湾はハゼ・カレイ・オオゲなどの魚が釣れ、私の記憶には「このしろ」の大群が飛び跳ねていた。「このしろ」は寿司ネタの「こはだ」の出世魚で、ひっかけ針で遊んだ事を思い出す。外海は「あなご」が良く釣れた。防潮水門が下では「うなぎ」も釣れた。祖母が釣ったウナギを蒲焼にしてくれ、その美味さを今でも覚えている。
町が壊滅するほどの大災害でも、自然は順調に回復している。市街地の大整備は必要ない!と時々思う。次の大津波に何か必要かは、短時間で避難できる道路だろう。10mの嵩上げを気仙沼のように5mにすれば、市街地の造成は終わっている。自然の驚異に対し力での人間の対策は及ばず、国費をそんなに掛けなくても良い気がする。その決定的な物は「8.7m」の防潮堤だろう。人間の居ない場所への建設はいらない。町の職員は復興計画の国の交付金による防潮堤建設は、国道やインフラを守る為で、今やらないで今後に大きな予算は付かなく、人命が整備せずに死亡が発生したら、行政の責任問題になる。と話していた。
もう既にこれまでの行政の津波対策の失敗は露呈している。避難道の拡充への対策と、防災体制の不備を上げたい。
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この12mもある高い橋は「曙橋」です。新井田橋の河口の川幅が以前の倍以上になっただろう。「橋から釣りをする」と言う昔の環境は、志津川地区の3河川では、もう出来ない!
子ども達が川で遊ぶのは危険な町が今後誕生する。海・川は怖い物を身体で経験する事はできなく、人工の安全対策を講じた環境で、子ども達は優しく育って行く。「ゆとり教育」がどれだけ、か弱い人間を造りだしたのか、その現実の反省と検証もしないままで、金まみれの地方議会が運営されている。県議会議長も政治資金の虚偽記載でまた謝罪した。富山市議会は酷い! 自民党会派の10万円の政務調査費の増額が議会で了承されたが、一連の不正行為の発覚で、法案を廃案とした。与党の「おごり」「強権」が、政治のゆるみを拡大している。
東京都議会事選は来年、富山の7名の辞任による補欠選挙が、来月にあり、来年には市議会選挙をする、なんて無駄な事を議会の議員がしている。国民・市民の鉄槌があるだろう。選挙が楽しみだ! 国政の民主党の政治改変があった年は、町の選挙と同じ年と思っていたら、民主の野田総理の衆議院解散で、再来年に衆議院の選挙がある。ここで野党の巻き返しが無い限り、日本は「平和ボケ」に埋没する気がする。

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