2016
09/10

多くの人材が町を離れた


昨日は会社の検診を登米市の先生にお願いした。以前は志津川病院に勤務していたが、私は永続勤務するものと思ってはいたが、町を追われ、登米市米山の病院にも勤務していた。その時に渡しの甲状腺ガンを発見して頂き、仙台市立病院の甲状腺の名医である高屋先生を紹介し、再発する事無く30年、現在に至っている。
私は「医は仁術」を実践しているただ一人の知る先生は、現在登米市で開業した笹原先生と思っている。志津川地区で開院して間もなく、大津波で全てを流され、その後体育館での被災者の診療にあたり、その後も町立病院の被災後の運営に貢献した。何で町民から慕われる先生を町外に出してしまったのか、医師不足といいながら「先生を地元医療の為に残って下さい」と、町長は強く働きかけなかったのか。東北大学第一外科の医師の招聘があり、上下関係の医療界、大学の意向に添っての町長の判断なのか不思議だ。今も多くの町民が先生の元に往復2時間を掛け通院していた。
現在の9月定例議会で5名の議員の質問が終わった。この後の議案に教育長の再任が可決したようだ。町長が選挙で選ばれてから、15年目を迎えている。教育長の選任は町長の役割ながら、当初は「公募」により教育長の選択は、決まっていた人事と私は思い、一つのパフォーマンスと感じていた。仙台出身の片桐氏がデッキレースで選任され、その後には田生教育長が付き、今回で3期目となる佐藤教育長は岩手出身だ。この三氏は全てが町外出身で、校長職の退職後に就任しているが、総てが町外の先生方である。自分の使い勝手がイイ先生の登用と私は思っている。
町内にも町の事を良く知っている、多くの教育長に適している、生徒の家庭・両親を知る校長を退職された方が沢山いる。自己の判断と間違った行政からの指示には、子ども達の事を考え、町を考えた決定に終始する人達だ。
素晴らしい町の人材が町外に流出している。津波により町が流出し、町民が死亡・行方不明になっている中で、今も志津川・歌津の人的財産が消えて行っている。
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