2016
09/09

しばらくぶりの晴天


台風が5つも来た先月から昨夜、全国に大きな爪痕を残し、今も以前の災害途中の後片付けなのに、更なる大雨と昨日も見舞われた。熊本地震から5か月が経つがその被害への世間の関心が薄れ、この短期間で忘れ去られている気がする。東日本大震災とて同様に、時間と共に風化する。こんなにも自然災害の中で、人災が発生しているのに、人間の欲は同様に増え続けている。
岩手県の岩泉の大水害の裏には、氾濫した川の自然の流れを居住区確保の為に、川の流れを人口に変更したことも原因の一つにあると言う。自然が造りだした川の流れを、人間の計画で河川の変更は何が起こるか判らない。人間が生活しやすさを追求する事が、自然の力には勝てない、予想も出来ない事は今回の3.11の大震災で判っているのに、また同じ事を繰り返すのが人間ながら、多くの知恵を持っているのに「欲」には勝て無いようだ。我が町も新井田川の河川変更がある。本当に大丈夫?
長野県清里の隆盛が、今から40年前あった。「長野の原宿」とも言われピーク時には、年間200万人以上も観光客が来た。今はその一割にも満たない、一部に廃墟のような風景が広がっていた。人が住みそれが真実の生活ながら、観光客の潤いは一時期で、永劫までは続かない。その事からも町民の流出対策無しに、町づくりを図る町の震災後の政策は失敗と私は言い続けたい。宮城県の観光客の流入は、仙台が勿論一位で、石巻・気仙沼と続く。防災庁舎でどれだけの人が南三陸町に来るだろうか。復興半ばと言いつつも、語り部を利用する被災地の観光客は「24%」も減少している。
石巻の「国際記念公園」の整備には、世界的に自然環境を考えている涌井氏が委員会の代表を務める。自然環境を全てに生かした公園を想定している。被災した門野脇小学校をバックし、震災で残った場所を公園にそのまま残すと言う。大きな手を公園に付けなく、観光地的な要素を出来るだけ無くし、震災の慰霊・追悼と風化しないよう、記憶に留めて貰いたいとの計画で、観光客・地元民で公園の管理を図って行く。我が町とは大分違う。
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昨日も同年代の方が震災後の労苦を語ってくれた。最後には「先祖を守るのは私」と言い聞かせ、暮らすには環境の良い仙台を後にし、まだ何も無い志津川の地に来た。震災後の避難から二次避難と、町民を右から左に移動させ、5年5か月かかって、仮の宿からの生活から脱却したと言う。震災後の多くの自己の問題の中で、特別に町から助けてもらった事は無いと言う。
私の同級生が震災から高台の町整地の土地に店をオープンした。私の知る限り初めての事と思う。多くの苦しみの問題の中で、一つ目の事は生業の再生だった。国からの生活再建の資金だけで、事業再生の補助などの資金は使わずに、ここまで来た仲間、女性ながら凄い。両親の事と生活再建・事業の再建と、私と同様ながら敬服する。

今日は登米市に会社の健康診断で出掛け、帰ってから葬儀に参列する。町の為に尽くされた方を、多くの隣人・知人で送り出したい。しかし、多くの町民は再建途上であり、生活の安定はまだ得られていないようだ。これで少しは死の連鎖が収まりそうだ。
昨日の剣道指導は中止になった。ちょうど練習から帰宅にかけて雨の勢いが増した。仙台は36ミリで仙台駅前が膝まで冠水した。豪雨と言われる100ミリとなったら、市内はどうなるのだろうと思うとゾッとする。
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