2016
09/08

隈研吾氏は南三陸町で更に有名に


南三陸町の震災からの商店街づくりに貢献したと言われている。女川の町の商店街と余り変わらない設計と思う。八幡神社からの人道橋は、隈氏の設計の基本となる木造設計があり、コンクリート鉄骨からの自然に優しい構造物へがある。金沢の「つつみ門」はその根底にある気がする。
国立競技場の建設もザハ氏の建設費高騰から、隈氏へのチャンスが生まれた。大震災で多くのゼネコンとの関係が生まれ、競技場の設計士と建設会社の合同入札となり、隈氏の建設が指示された。ある意味大震災での被災地との係わりが、今の隈氏の隆盛を生んだのかもしれない。
写真は登米町の道の駅に貼られてあった、隈氏紹介のチラシで、「能」を舞う場を建設したのがこの地区に?があった気がする。
今度は品川駅の山手線の新駅舎の設計もした。木造のガラス張りの明るい駅舎は、流線型で店づくりや構内の内装も、今までとは大きく変わっていた。大きく隈氏がクローズアップされたのは、南三陸町の町づくりにあり、時代の流れに乗り次々と新しい建築に、木造の木材の利用がある。
南三陸町の南三陸沿岸の内陸に育った林材は、震災から林業家の努力により「国際認証」を取得し、国際的に建設される公的構造物に使用できる事が認められた事で、町では隈氏の活躍に乗ろうと、協力を求めている。
相互の利益の追求が合致した。偶然ながら互いの持つ利点を国内・世界の、構造物に使い利用してもらえると嬉しい。しかし、全国の林業者も木造の活用の隈氏の考えに、あやかろうとして皆が狙っている。

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