2016
09/03

ブログ発信3650回発信となった


10年前頃の政治に疑問を感じ、ブログを通して町を姿を、自分の感じる思うままにとブログを始めた。発信内容に未熟さから「炎上」も大小あったが、他人への迷惑や誤報は直ぐに対処し、誤字・脱字はご容赦頂きたく、多忙の中で短時間の毎日の発信は、無知な稚拙な部分を多く秘めた私です。しかし、言わんとしている内容は今の読者には理解されている物と思います。
ブログを初めて2年目に町会議員となり、多くの問題を町へぶつけて来た。その2年後の大震災では、自宅・工場などこれまでの人生の場の総てを失った。高齢の当時88歳となる両親を、何とか無事に苦痛なく生活させる為に、ここまで歩んできた。「何とか町民の力になりたい!」と、多くの場所へ行き、皆さんの大変を聞いて「一緒に!」と、町で暮らしましょうと促した。しかし、私の力と気持ちの伝達の弱さか、多くの知人・先人などが志津川から去り逝去していった。自分の力の無さに落胆したが、精一杯に皆さんに伝え活動してきた。
ブログ10年で震災前の写真も残す事ができた。ブログの数は7つを数え、会社で震災前に働いていた若者たちの力を借りて、滅亡した志津川市街地の写真を懐かしく見つめる事も多々あった。ブログ発信で自分だけの宝であり、見てくれる人への思い出・懐かしさを感じてくれれば、ブログをやってきて良かった事になるだろう。
いつまで続けられるか判らないが、自分の身体が壊れるまでは発信して行きたい。これまで見て読んでくれた来訪者に感謝し、60歳の還暦を過ぎ新たな人生を、歩む「大好きな志津川町」の一人の人間としての越し方を、見て読んで笑って頂ければ、私の幸せと思っている。

会社の登記を昨日に行政書士から貰って来た。震災前の多忙さと震災の混乱で、会社の2年ごとの更新を怠っていた。会社の消滅と住所移転など、会社を普通にこれからの事も考え、小さいながらも株式会社としての立場を継続させた。
その他にも母の逝去に伴い、母の少し財産を弟に贈与する事を勧めている。出生から死亡まで「腹戸籍」を取るに当たり、志津川での結婚後は南三陸町で、米谷での出生後は登米市から取った。嫁いだ時の住所とその後の住所が違っていると「誤記載」を指摘され、町の窓口に行き聞くと、土地の区画整理で名称が変わっています。と言う。「その証明書を町で発行して欲しい」と申しでると、「できません!」と言われた。以前はそれを証明する物があったが、津波で流失したのでありません。と説明を受けるが、なんで以前あったものを津波による天災を受けながら、これを政府への説明として、行政で特例での「証明書」を作ろうとしないのか不思議だ。住民への行政サービスとして当然の行政対応と思うが、こんな対応にも行政の住民へのサービス低下を感じる。審査官が「良」とすればと言う。「良」としなかったらどうするのだろう。以前にはあって震災後にはないは、6年目を迎える震災の自治体としての、色々な問題に対して行政の迅速な問題対応に欠けていると思い、行政幹部は感じないのだろうか。交付金の事業申請の町の資金確保も大切ながら、住民生活の行政の優しい対応が、被災者にとって嬉しい事を、まだ行政は知らないようだ。
CIMG9504.jpg
昨日は志津川高校の旭が浦際の恒例の「仮想行列」が、文化祭の先頭を切り告知の意味を込め、町を?を被災地の中を商店街まで練り歩いた。
中央区の造成再工事は今も続いていた。当初の雛壇の高台移転の構想が、その姿を現したと感じた。擁壁の整備の高さは予想どおりで、整備には多くの資金が掛かる事と思った。

昨日も広報が来たが、沢山のチラシや告知が入っている。こんなにも多くの印刷資金があるようだ。我が会社のものは一つもない。弱小事業所の淘汰される時期にまっしぐらだ。もっと被災町民が参加できる・喜ぶ情報を、復興交付金なら町民の為になる予算の使い方をして欲しい。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:51 】

COMMENT
POST A COMMENT


















 TOP