2016
09/01

故人への感謝の焼香は早急に忘れずに 


被災地の葬儀と弔問は、情報不足と生活の不安から、遠く仮設での暮らしで行きたくても行けない、6年目を迎えるのに以前の生活からは程遠い。
昨日も「知りませんでした!」と数名の訪問客を迎えた。しばらく疎遠となっていた方が来てくれた。千葉家への温かい気持ちに感謝です。
母の米粒くらいの財産の贈与の処理をしている。町の税務課・窓口から必要な書類を準備していた。「出生から死亡まで」の戸籍は、志津川で暮らした分は南三陸町で、嫁ぐ前は登米市でという事で、津山出張所で取る事とした。母のルーツの深さに驚かされ、千葉家の昔の生活を垣間見られた。戦後の混乱期の結婚がそこにはあった。現在の生活が一変する過去の出来事に、自分の今も含め環境が変わっていたかもしれない事実を知り、やはり志津川で生まれ生きている事に感謝です。
津山の登米市の出張所は簡素化となり、事務職員は10名ほどで、過疎化・人口減少の末路を見た。前々の県会議員選挙で戸倉から出馬方が、「登米市との合併」を訴えた。生活環境と住民サービスを考えると、以外と震災後は一理あったかもしれない。
台風10号の被害は岩手県で、想像を絶する事態となっていた。福祉施設の入所者が川の氾濫で、突然の施設への川水・流木の流入で9名が亡くなった。一時間に70ミリをこえる雨量は今までなく、川の増水は5.1mの土手の高さとなり、1時間後には6.5mとなり、川沿いの家々や福祉施設を呑込んだ。
南三陸町の福祉施設は自然災害に関しては大丈夫のようだ。一部の岩手県の企業の介護施設の問題を聞く。「医は仁術」と常々言われるものの、自分勝手な入所者への対応は、家族の「安らかに。おだやかに。」と言う、最低限の終末期の生活を壊すものと思う。
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現在は夏草が周辺道路沿いに繁茂し、その取り除きが業者の手で進められている。町の商工団地からの嵩上げ地を通り、石巻市や登米市に行く道の混雑は、更なる大渋滞となっていた。中央区の土地の整備でダンプの出入りもあり、町の交通も解消は厳しい。しかし、行政の説明で東浜・沼田地区からの志津川中学校までの、一部高台横断道路の整備が今年度中と話していた。想定・予想の甘い被災自治体の現実は、嘘や遅延は常々ある事と諦める住民も多い。
復興祈念公園の広さが24haから6haに減少し、この部分の土地は換地ではないとの話から、今度は換地するとの事に、6年目を迎える今も復興の形の変更に、怒りを覚える人もある。

今日は選択でもしようか。
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