2016
08/28

寂しいが  新しい世代に


昨日の夕方5時10分に、本浜町に郷土芸能として継承されてきた「七福神舞い」が震災から復活した。
「三陸海の盆」は、震災の慰霊・追悼の被災地の願いを芸能に託し、被災地を北から南下してきた。南三陸町の開催では地元の、行山流水戸辺獅子踊・大森黒潮太鼓の演技に続き、本浜町の七福神舞いの復活の演技を待った。スマホの購入は演技を映像として残す為だった。スマホとカメラを構え、復活の舞を見つめた。不思議と感激も感動も無かった。本浜町の地区民が再生の一歩として「七福神舞い」があると思っていたからだ。コミュニティーの再建の手段として考えていたからだ。寂しい限りだ!
CIMG9310.jpg

CIMG9312.jpg

CIMG9359.jpg
復活できたのは、南三陸町の志津川地区の5つの神社の青年部が結成され、震災で無くなった地区の郷土芸能の復活にあたった。完成度は高く綺麗なものだった。
紹介では保存会の会長佐藤良治氏、荒島神社宮司工藤佑允氏、本浜町の町の教育長だった阿部清敬先生が、地区の伝統芸能の中心で活動し、地区民が一丸となり子から老人までが参加し、七福神舞いを創り上げた。しかし、震災後に三氏は逝去し、芸能の継承の再生は厳しいものとなった。保存会は津波の前の年に休会となり、次の年の3月11日にあの東日本大震災に見舞われた。
何と皮肉な結果だろう。七福神舞いを神社に奉納しなかったから、自然が怒った大震災だったのか。偶然にして余りにも厳し過ぎる天地の仕打ちと思った。

地区の解散時に本浜町の若者達に祭りの再建を託し、地区民みんなで資金を寄付した。今回は地区民に七福神の復活の発表を伝える案内を30数軒送り、3軒が返って来たと言う。

三陸の盆では、「復興市」「かがり火松野」「花火」が夜祭として開催された。多くの観客が志津川地区の伝統郷土芸能を満喫しただろう。何とか若者達への労いの「華」を渡したかった。

本浜の祭りから、町の祭りに新しい地元の芸能として、将来に繋げて欲しい。一つの本浜町が終わった。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:55 】

COMMENT
POST A COMMENT


















 TOP